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【猪木さんインタビュー(2)】「猪木対猪木というのもできるなら見てみたいね」

[ 2022年10月2日 04:19 ]

アントニオ猪木さん死去

今年7月、本紙インタビューでポーズを決めるアントニオ猪木さん(撮影・尾崎 有希)
Photo By スポニチ

 “燃える闘魂”と呼ばれた元プロレスラーで、参院議員も務めたアントニオ猪木(本名猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中でありながら、今年7月にスポニチ本紙の独占インタビューに応じ、メッセージを託していた。病気だけでなく、ムハマド・アリとの異種格闘技戦、兄弟子・ジャイアント馬場さん、師匠・力道山について語る、その姿は衰えぬ闘魂そのものだった。

 ――米国のプロレス団体に太いパイプがあった馬場さんの全日本プロレスを超えるために仕掛けた異種格闘技戦。新日本プロレスは禁断とされた国際プロレスのストロング小林との日本人エース対決も実現させて人気を確立していった。挑戦状を叩き付けたこともありましたけど、全盛期にメインイベンターとして馬場さんと戦いたかったですか。

 「いや~、そこは、道場を見ていたら馬場さんの実力も分かるだろうからね。それは皆さんが、どっちなんだと決めることですよ。よくライバルとは言われたけど、5歳年上だったので、ライバルというのも少し違うのかもしれません」

 ――大物レスラーでは大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント、超獣ブルーザー・ブロディ、不沈艦スタン・ハンセン、超人ハルク・ホーガン、皇帝ビッグバン・ベイダーらがライバルとして名前が挙がります。アンドレには1986年のIWGPリーグ公式戦で腕固めで世界初のギブアップ勝ちを収めました。

 「アンドレに勝った時は実は丸刈りなんだよ。浮気がバレて丸刈りになった。そんなことを思い出すね。まあ、これはオレの中でしまっておきますか(笑い)」

 ――1985年4月には、全日本から移籍したブロディと初めての一騎打ち。両者リングアウトに終わりましたが、試合前に控室で猪木さんが号泣したというエピソードもありました。ブロディが何か仕掛けたのですか?

 「ブロディね。あいつはプロモーターの感覚があるからね。計算高すぎてダメだった。プロレスラーとして、あれだけの才能があるのに気難しい。結局、プロレスラー仲間に刺されてしまったね」

 ――1987年12月にビートたけし率いるTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として初参戦したベイダーの印象は?

 「最初からビックリしましたよ。とんでもないヤツが出てきたと思ってね。力がとにかく凄かった。投げっぱなしジャーマンで、凄い角度で叩き付けられたことがあった。後で写真で見返してみると、あんな落ち方は見たことない。よく受け身が取れたとゾッとしたことがあります」

 ――猪木さんの強さは来る日も来る日も稽古をやり抜き、肉体を鍛え続ける「道場論」にあった。それは猪木さんをスカウトしてプロレス界に導いた力道山の教えでもありますが、師匠への思いは?

 「アリやライバルのレスラー、馬場さんとも違うので比較することは難しい。力道山は師匠ですから、戦いたかったというのはないですね。自分自身で言えば闘魂を引き継いだと思ってます。その遺伝子を引き継いでもらいたいと思っても、なかなかいない。闘魂を次の時代に残すのは難しい。力道山からは何も教わったことはないですね。教わったというよりも、ただ殴られただけですね(笑い)」

 ――力道山は色紙にも「闘魂」と書いていたと聞きます。その意思を受け継いだ猪木さん。後進が育っていないことは寂しいのでは?

 「難しいね。魂の問題だからね。これはなかなか伝わらない。力道山からすると、そこには北朝鮮の民族意識の問題もあった。出てきたとしたら誰だろう…今の世の中にはいないね」

 ――これは力道山にリングで指導を受ける若い頃の猪木さんの写真です。この道場での原風景の中からアントニオ猪木は始まった?

 「これは珍しい写真だね。オレも見たことないよ。リングの周りにも懐かしい顔がいっぱいあるね。でも誰もいなくなっちゃったね」

 ――猪木さんのように非常識に生きようとするプロレスラーがいなくなったのは残念?

 「オレ自身は非常識と思ったことはないよ(笑い)。一寸先はハプニング?みんないろいろ言うけどね。オレは中国や朝鮮半島の問題も含めて考えてきた。政治もやっていたんで、ほかの人とは少し違いますけどね。プロレスで言えば最近、形が変わってきて、これはこれでしょうがないと思うようになってきましたよ」

 ――これからの猪木さんの闘いはどこに向けられる?

 「猪木対猪木というのもできるなら見てみたいね。相手がいないなら自分だな。オレはいつも人がビックリすることを考える。そういう意味では人ができないことがオレのテーマです。いまはゴミの問題にもチャレンジしたい。世間の人は成功しないとかできないとか言いますけど、ゴミがあふれて汚染された世界の川をどうにかしたい。“この体で、この状態で、おまえそんなこと言ってる場合じゃないだろう”と言われても、それが自分の生きていく力になります」

 ――ゴミをエネルギーに変える壮大なプランを含め、世界の環境問題に注目している?

 「ゴミだけじゃなくて汚染ですよ。日本は戦後の高度成長期にお金もあったけど、川が汚れて、その後にきれいになった。発展途上国ではお金もない。その中で暮らしている子供たちもいるから、ここに的を絞ってどうにかしたいという思いはありますね」

 ――燃える闘魂の旅は、これからもまだまだ続きます。1998年4月に東京ドーム大会でプロレスラーを引退した時に「道」という詩をメッセージとして伝えられました。「迷わず行けよ!行けばわかるさ」という言葉。今、振り返ってみてその意味とは?

 「今、現在オレはまだ欲深いしね。世界規模のテーマがある。なかなか独りでは何もできないけど、メッセンジャーとして世界に発信したい。元気ですかー!だよ。迷わず行くことが大事?そう、その通りだよ」

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2022年10月2日のニュース