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アリ氏 74歳で死す…闘い続けた“魂のチャンピオン”

[ 2016年6月5日 05:30 ]

1965年5月、ソニー・リストンとのリターンマッチで初回にいきなりダウンを奪い、返り討ちにするアリ(左)(AP)

 ボクシングの元世界ヘビー級王者ムハマド・アリ氏が3日(日本時間4日)、米アリゾナ州フェニックスの病院で亡くなった。74歳だった。先月31日から呼吸器系の病気で入院していた。60年ローマ五輪で金メダルを獲得し、プロでは世界ヘビー級王座に3度就いたほか、76年には異種格闘技戦でアントニオ猪木氏と対決。徴兵拒否や黒人差別撤廃運動で米国社会を鋭く批判するなど、リング外でも闘い続けた歴史的英雄だった。

 アリ氏が危篤状態との一報が全世界を駆け巡った数時間後。「ザ・グレーテスト」の死が発表された。頭部に2万9000発のパンチを浴びた現役引退後に神経変性疾患のパーキンソン病を患って30年以上も闘病生活を送り、近年は動くことも話すことも困難な状態。86年に結婚した4人目の妻ロニーさんとフェニックスの自宅で過ごし、入退院を繰り返していた。最後に公の場に姿を見せたのはパーキンソン病治療チャリティーイベントに出席した4月9日。5月31日に自宅で呼吸できない状態となり、緊急入院していた。葬儀は故郷のケンタッキー州ルイビルで今月8日に営まれる。

 12歳の時に新品の自転車を盗まれ、強くなることを白人警察官に勧められてボクシングを始めた。60年ローマ五輪ライトヘビー級で金メダルを獲得したものの、帰国後に人種差別を受けたことに怒り、メダルを川に投げ捨ててプロ転向。イスラム教に改宗してカシアス・クレイからムハマド・アリに改名し、へビー級では異例のスピードとフットワークを武器に64年、ソニー・リストンを破って20戦全勝で世界ヘビー級王座を獲得した。

 批判も絶えなかった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と自身のスタイルを誇ったほかデビュー時から試合前のKO予告は当たり前。試合中にも相手をこき下ろしたが「盛り上げてやっているんだ」とどこ吹く風だった。黒人解放運動に参加し、ベトナム戦争中の67年には「俺は神の法だけに従う。ベトナム人に銃を向ける理由がない」と徴兵を拒否。禁錮5年の有罪判決を受け、ボクサーライセンスと王座を剥奪された。しかし、3年7カ月のブランクを経て復帰し、米最高裁で無罪を勝ち取ると、74年には圧倒的不利の前評判を覆して王者ジョージ・フォアマンをKOで破る「キンシャサの奇跡」で再び王座に就いた。

 72年に来日してノンタイトル戦を行い、76年にはアントニオ猪木と異種格闘技戦を行った。猪木が転がって足ばかり狙う「世紀の凡戦」は引き分けに終わったが、78年にはレオン・スピンクスを破って3度目の世界王座奪取を成し遂げた。81年の引退後は病気と闘い、96年アトランタ五輪の開会式では震える手で聖火に火をともして世界中を感動させた。私生活では4度結婚し、子供は9人。3人目の妻との間に生まれた娘レイラは女子世界王者になった。また、05年には米国市民が授かる最も栄誉ある勲章「大統領自由勲章」を受章。最近はイスラム教徒入国禁止を唱えた共和党の大統領候補トランプ氏を批判するなど最後まで気概は失われていなかった。

 ◆ムハマド・アリ 1942年1月17日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。12歳でボクシングを始め、60年にローマ五輪で金メダルを獲得。同年にプロ転向し、64年にヘビー級の世界王座に就いた。イスラム教に改宗し、カシアス・クレイから改名。67年、徴兵制を拒否し、王座を剥奪される。復帰後、世界王者に2度返り咲いた。プロ戦績は61戦56勝(37KO)5敗。

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2016年6月5日のニュース