元阪神・横田慎太郎さんを書き続ける理由…亡くなる前日、母・まなみさんと記者が交わした言葉

[ 2026年5月19日 09:00 ]

19年5月14日、鳴尾浜球場で遠藤記者のカメラに向かって最高の笑顔を浮かべる横田慎太郎さん
Photo By スポニチ

 面会を終えて病室を出ると、私は母・まなみさんに「少し話をさせてもらいたいんです」と切り出した。元阪神の横田慎太郎さんが療養していた神戸市内のホスピス。23年7月17日、亡くなる前日のことだった。

 「私は慎太郎さんの友人と同時に新聞記者でもあります。慎太郎さんにもしものことがあった時、私が見たこと、お母様から聞いたことをどこまで記事に書けばいいか正直、悩んでいます…」。

 当然、まなみさんの返答次第では多くを書くつもりもなかった。セカンドキャリアの中心に据えていた講演活動は、最後は両手を地面につき、階段を這って駆け付けた。右目は失明。療養に入る前は壮絶な日々だった。こんな生々しいことをどこまで書けばいいのか分からなかった。

 ただ、まなみさんにははっきり言われた。「全部書いてください。私たち家族も遠藤さんのお仕事のことは理解していますから。慎太郎も望んでいます」。あの時、横田家に背中を押され、私は慎太郎さんのことを今まで書き続けてきた。

 今年3月、近しい関係者や知人を取材し横田さんの生い立ちをあらためて振り返る連載「横田慎太郎への旅」の準備のため鹿児島を訪れた。父・真之さん、母・まなみさんと久々に顔を合わせて食事をした。私の鹿児島訪問に合わせて多くの関係者を繋いでくれ、翌日からまなみさんも何カ所か取材先に同行してくれた。濃密な3年間を過ごした鹿児島実業、高校時代の担任、中学校の同級生…まなみさんだけでなく、慎太郎さんと3人で思い出の地を巡っているような気分になった。

 大阪へ帰る新幹線の車中でまなみさんからメールが届いた。「慎太郎のスマートフォンに残っていた写真を見つけました」。添付されていたのは、私と慎太郎さんがイベント出演した際の写真だった。「慎太郎にこんなことがあったんだとか、慎太郎がこんなことを言っていたんだとか…慎太郎の記事を読んで私たち家族は幸せな気持ちになれます。これからも書き続けてください」。

 横田慎太郎という素晴らしい野球選手、そして素敵な人間がいたことをこれからも書き続けていきたい。(遠藤 礼)

続きを表示

この記事のフォト

「阪神」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2026年5月19日のニュース