【駒田徳広 我が道18】「必死だったんでしょうね」一生忘れられない藤田元司さんの話

[ 2026年5月19日 07:00 ]

89年、ゴールデングラブ賞表彰式。(左から)川相昌弘、私、中尾孝義さん、西本聖さん
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 元号が平成に変わった1989年、巨人入団時の監督、藤田元司さんが戻ってこられた。グアムキャンプ初日。練習後に言われた。

 「駒田、いっぱい苦労してきたな。頑張っていい選手になった。レギュラーで使う気でいるからな」

 藤田さんはNHKの解説者時代、たしか広島戦で2軍から上がったばかりの私が代打で三振した時、「一生懸命打ちたい打ちたいでボールが見えなかったんでしょうね、必死だったんでしょうね」と話してくださった。後でビデオを見て知り、一生忘れられない話の一つになった。

 その恩師が「使う気でいる」と言ってくれて迎えた開幕。7番・ライトでスタートした。といってもレギュラーではなく相手の先発が左の時はベンチ。そんな時、叱咤(しった)激励してくれたのが内野守備走塁コーチの滝安治さんだった。

 「試合に出てるからいいやっていうんじゃダメだ。お前はファーストのレギュラーを獲らなきゃいけないんだ」

 その直後、三塁手に戻っていた中畑清さんが右手中指を痛めて離脱。一塁を守っていた岡崎郁さんが三塁に回り、私は4月28日の中日戦(東京ドーム)から一塁に入ることになった。滝さんが今度はこんな話をしてくれた。

 「ファーストというポジションで一番大事なのは、人の手から出たものを捕ること。投げてきた球は全部捕れ」

 捕球に関しては2軍時代、山本功児さんから「ボールとケンカするんじゃない。引くんだ。ボールをよく見て、ちょっと引けばボールからミットに入ってくる」と教わり、肘から下の力の抜き方を勉強させてもらった。

 滝さんの指示に従い微妙なバウンドの処理を練習。相手先発の右左に関係なく最後まで一塁を守らせてもらい、一塁手として初めてゴールデングラブ賞を頂いた。

 打っては2年連続で駆け込み3割をマークした。9月15日時点の打率は・284。そこからじりじり上げ、10月10日の広島戦(広島)で4打数3安打をマークし、・301とした。

 残り1試合。すでに優勝は決めている。休む手もあったが、篠塚利夫(のちに和典)さんが珍しく藤田さんに「駒田はこれから3割打つことは何度もあると思います。日本シリーズもあるし、最後まで出て打たないといけないと思います」と進言し、13日の最終ヤクルト戦(神宮)にも出ることになった。

 2打数無安打なら3割を切るが4打数1安打ならOKという試合で、最初の打席に右中間適時二塁打。打率を・303としたところで、代走の吉村禎章と代わった。ベンチに戻ると藤田さんは褒めてくれた。

 「お前、根性あるよ。自分の力で3割打ち切ったな。もう休んどけ」

 2年連続3割。本塁打は11本だったが、3割はいつでも打てる。自信がついた。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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