【駒田徳広 我が道番外】凄かった巨人の高校生ドラフト 多くの高卒選手が1軍の主要な戦力に

[ 2026年5月11日 07:00 ]

50番トリオ、83年9月のジャイアンツ寮でのひとコマ。左から吉村、私、槙原。みんな若い!
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 甲子園に一度も出たことのない桜井商の私を1980年(昭55)ドラフトで2位指名してくれた巨人。当時の高校生スカウティングは凄かったね。数年後にレギュラー野手、先発ローテーション投手になる高校生をたくさん獲っている。

 私の1年先輩は79年3位の岡崎郁さん(大分商)。1年後輩の81年組は3人いる。1位の槙原寛己(大府)、3位の吉村禎章(PL学園)、5位の村田真一(滝川)だ。

 2つ下は82年1位の斎藤雅樹(市川口)、4位の川相昌弘(岡山南)の2人。83年も1位の水野雄仁(池田)、2位の香田勲男(佐世保工)の2人。さらに85年1位の桑田真澄(PL学園)…。

 高校から入った選手がこれだけ1軍の主要な戦力になったチームは珍しい。

 当時の練習場は多摩川の河川敷。東海大から1位指名で入った同期の原辰徳さんはバリバリの即戦力としてすぐ1軍で活躍されたが、私は多摩川で2年間汗を流した。

 1年目の81年、イースタン・リーグの打撃成績は打率・190、3本塁打、18打点。全くダメだったが、ドラフト上位で入っているから3年くらいは面倒見てもらえるだろうという思いもあった。

 だが82年、同じ左打者で吉村のような凄いやつが入ってきたら、のんびりとしていられなくなった。親しい先輩に「岡崎さん、3年目だよ。そろそろ危ないよ。やばいんじゃないの」と冗談を言いながら、プロ野球選手になったのを悔やみかけたこともあった。

 槙原にも驚いたなあ。こんな速いボールを投げる投手、見たことがない。彼とは83年の同じ時期に1軍デビューする。私が4月10日の大洋(現DeNA)戦(後楽園)で史上初となるプロ初打席満塁本塁打を放てば、マキは6日後、16日の阪神戦(甲子園)でプロ初登板初先発初完封、しかも延長10回を投げ切るという衝撃デビューを飾った。

 この試合6番・一塁で先発出場した私は、6回先頭の藤田平さんの打球をトンネルしてしまう。スタンドの「下手くそ!」コールが凄くてめっちゃビビった。当時の甲子園は外野だけじゃなく、銀傘の下にもトランペットがいて内野と外野でハモる感じ。ヤジを全身に浴びて、パンチドランカーになりそうだった。槙原が頑張って後続を抑えてくれて助かった。

 当時の背番号は私が50、槙原が54で吉村が55。「50番トリオ」と呼ばれるようになった。高校を出て3年目の私と2年目の2人。当時の巨人のドラフト戦略が生んだフレッシュトリオだった。

 やがてそれぞれ若い背番号に変わってトリオは解散。吉村が86年に7、お次は槙原が87年に17、そして最後に私が88年、10になる。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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