高代延博さんが死去 野球ファンも沈痛「名コーチ」「今でも阪神の三塁ランナーコーチといえば」

[ 2025年12月10日 18:00 ]

高代延博氏
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 阪神中日などでコーチを歴任した高代延博さんが死去していたことが10日、分かった。高代延博さんが入院先の大阪市内の病院で家族にみとられ、静かに息を引き取った。71歳だった。

 野球ファンの間でも高代さんの思い出は多く、ネットでは「高代コーチ亡くなったんか…」など沈痛の声が上がり、「高代さん」がXのトレンド入りしたほど、衝撃となった。

 特に阪神でも三塁コーチャーを務めるなど、コーチとして名伯楽だったことが印象にあるようで、Xでは「今でも阪神の三塁ランナーコーチといえばこの人ってイメージ持ってる」「高代さんは名コーチ」「高代コーチ ランコーで腕ぶん回してたん懐かしい」などの声が集まるなど追悼していた。

 高代さんは智弁学園(奈良)から法大に進み、卒業後は東芝に入社し、78年ドラフト1位で日本ハムに入団。プロ野球選手としては小柄な体格ながら走攻守で存在感を発揮した。88年には交換トレードで広島に移籍し、翌89年限りで現役を引退した。

 90年に広島の1軍コーチに就任。法大の先輩でもある当時の山本監督から三塁コーチを任されると、指導者としての新たな能力を発揮した。その後は中日、日本ハム、ロッテ、中日、韓国・ハンファ、オリックス、阪神と日韓でコーチを歴任。09年、13年は日本代表コーチを務め、09年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では世界一に大きく貢献した。

 1軍監督として通算1773勝を挙げたプロ野球史上最多勝監督の鶴岡一人監督からの教えを最後まで貫き、指導者としての道を極めた。野村克也さんからは最高の言葉を贈られた。「高代は日本一の三塁ベースコーチ」。コーチとしては星野仙一、落合博満など多くの名将の下で手腕を発揮。年齢を重ねても野球への情熱を決して冷めなかった。

 20年に阪神を退団した後はアマチュア球界で指導を続けた。21年から大経大の臨時コーチを務めると、23年には監督に就任。病魔に冒されていることが判明したのもその頃だった。それでも数回、手術を受けてグラウンドに立ち続けた。今年8月も学生を連れて関東遠征に出向いていた。9月に入って病に倒れるも最後までグラウンドに立ち続けようとしていた。家族の強い説得で入院。現実を受け止めて積極的治療はやめた。晩年は緩和ケア病棟で家族とともに静かな余生を過ごしていた。

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