【鷹論】83年夏4強導いた久留米商の剛腕と出会った

[ 2025年11月25日 06:00 ]

久留米商のベスト4を報じる1983年8月20日付のスポニチ西部版
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 先日、母校・大牟田(福岡)の大先輩で今季までソフトバンク1軍打撃コーチだった村上隆行さんから、ある人物を紹介していただいた。山田武史さん。オールドファンならば名前を聞いただけでピンとくる。世代がかなり下の私も、別の意味で「!」となった。

 6月にスポニチの西部総局が天神から中洲へ移転。フロア面積が減るために、半世紀以上分の昔の新聞をPDFにしている。作業中に目に留まったのは1983年夏の甲子園で久留米商を4強へ導いた剛腕の記事。見つけたのは偶然にも本人にお会いする1週間前。そう、それが山田さんだった。

 村上先輩と山田さんは同学年のライバル。両校で合同練習したこともあったそうだ。山田さんは「(村上)隆行がおったら、打線は任せられて投球に集中できていたと思う」と同じチームだったなら頂点も夢ではなかったとリスペクトする。それを聞いた村上さんはうれしそうに「(山田)武史のボールを見ていたから、打てた投手がいた」とにやり。

 “オリエンタル・エクスプレス”と呼ばれるほどの快速球を武器に西武で活躍した郭泰源のことだ。そのデビュー戦だった85年4月8日の西武―近鉄(西武球場)。「7番・遊撃」の近鉄・村上は9回1失点完投し、プロ初勝利した右腕から4打数4安打。1球見ただけで「これは武史やんか」と直感したそうだ。高校時代にしのぎを削ったライバルの球筋にうり二つ。変化球のコンビネーションもイメージ通りだった。台湾からやってきた未知の右腕への対応が、一人だけ段違いだった理由だった。

 「これですよ、これ」と同席した元西武・太田浩喜さんが、YouTubeで高校時代の山田さんの動画を見せてくれた。浮き上がるような直球は、確かに子供の頃に見た郭泰源さんのそれに近かった。プロでは肩や膝などの故障に悩まされ、巨人、ダイエーで通算30試合で現役引退した。故障さえなければ多くの名勝負が生まれただろう。“伝説”のまま終わってしまったが、だからこそ思う存分“たられば”を語れるよさもある。 (福浦 健太郎)

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