【平野謙 我が道15】座骨神経痛に耐え初の盗塁王 盗塁にこだわりなかったけど…

[ 2025年10月15日 07:00 ]

86年、48盗塁で初のタイトルに輝く
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 最初で最後の盗塁王になったのは1986年(昭61)だった。自己最多の48盗塁をマークするのだが、腰から足にかけて痛みがひどく、決していい状態じゃなかった。

 座骨神経痛だ。最初にやったのは82年だった。ナゴヤ球場の巨人戦でゲーリー・トマソンの打球を追って背走し、ジャンプした時にブチッといった。

 それがぶり返し、腰にチューブを巻いて迎えた開幕3戦目、4月6日の広島戦(広島)だった。8回に中前打で出塁すると、盗塁のサインが出た。

 下半身の状態が悪いのはコーチも知っているはず。「マジかよ」と思ったが、サインが出たら走るしかない。スタートはめちゃくちゃ悪かった。

 それなのに、セーフ。「足が悪くたってセーフになる時はなるんだ」。そう思ったら気が楽になった。それまでは「アウトになっちゃいけない」という思いが重荷になっていた。

 盗塁は全部サインだったが、成功を重ねるうちに少し変わってきた。グリーンライトまではいかないが、三塁コーチが「走っていいよ」という目配せをしてくれるようになった。

 盗塁数は81年から8、20、14、30、17。盗塁にこだわりはなく、自分から走ろうという思いは全くなかった。

 当時のセ・リーグで盗塁と言えば、巨人の松本匡史さん、広島の高橋慶彦、大洋(現DeNA)の高木豊、屋鋪要…。そんな走り屋を上回ってトップに立ち、タイトルを意識するようになった。

 だが、しっかりした盗塁技術は持っていない。投手の癖や細かいことも教わっていない。馬力だけに頼って走り、最後はさすがにバテた。

 座骨神経痛に加えて、左ふくらはぎを肉離れ。チューブにテーピング、サポーターを巻いて走り続けたが、失敗が続いて屋鋪に抜かれた。

 10月2日の大洋戦(ナゴヤ球場)で45個目を決めた後、3回連続失敗。5日の広島戦(広島)でやっと二盗に成功したと思ったら、その直後、けん制におびき出されて三盗失敗。ここから4回連続で失敗する。屋鋪も6試合連続で失敗するなど互いにバタバタ。48個の屋鋪を1差で追う形で17日、シーズン最終の大洋戦(横浜)を迎えた。

 7月5日に休養した山内一弘監督の代理を務めた高木守道さんは最終戦で打力優先のオーダーを組みたかったらしい。大島康徳さんと僕に「お前ら2人で三遊間を守れ」と言った。

 大島さんは三塁。僕は小学生の時に守ったショートに入り、打球を無難に処理。6回に右前打で出塁して二盗を決め、トップに並んだ。
 三盗して抜いてやろうと思ったが、セカンドかショートのどっちかが二塁ベースに張り付いて離れない。4タコで一度も出塁できなかった屋鋪とタイトルを分け合った。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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