休まない男、カル・リプケン・ジュニア――2632試合連続出場の軌跡を元トレーナーが証言

[ 2025年9月7日 08:16 ]

2001年のオールスターゲームでMVPに輝いたカル・リプケン(AP)
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 スポーツ専門サイト「ジ・アスレチック」が6日付で、ちょうど30年前にルー・ゲーリッグの連続試合出場記録(2131試合)を破り、2632試合まで記録を伸ばした野球史上最強の“アイアンマン”となったカル・リプケン・ジュニアについて、そのタフネスぶりを当時のヘッドトレーナーの証言から振り返っている。

 記録を打ち立てる2年以上前。1993年のオリオールズ対マリナーズ戦で起きた乱闘で、リプケンは芝にスパイクをひっかけて倒れ、その上に合計1000キロ近い選手たちの体重がのしかかって右膝をひねった。リプケンは「ポキッ」という音を聞いたと明かした。

 オリオールズのリッチー・バンセルズ・ヘッドトレーナーは、連続試合出場のほとんどを間近で見ていた。数々のケガを抱えながら痛みに耐え抜き、驚異的な回復力を発揮する稀有(けう)な選手だったという。1985年の開幕戦では足首を痛め、夜には松葉杖を渡されたほどはれ上がっていたが、オフの翌日に治療を受けた後、松葉杖は捨てられた。ファールフライを捕ろうとしてフェンスを越え、コンクリートに激突したこともあったが、それでも出続けた。

 マリナーズとの乱闘の翌朝、バンセルズ氏は検査を手配。X線とMRIの結果は「じん帯の損傷」で、治療方針は休養と安静。だが、リプケンに休養の選択肢はなかった。「できるだけきつくテーピングしてくれ。プレーして、後は後で考える」。バンセルズ氏はリプケンの膝を固定し、遊撃の守備に必要な左右の動きを確認した。

 1995年夏、記録達成が近づくにつれリプケンの体には大きな負担がかかっていた。連日の試合に加え、メディア対応や全国的な注目で心身が削られ、記録達成直前にはほとんど眠れていなかった。それでも試合に出続けた。「テーピングを受けながら彼が“お前も毎日仕事に来るだろ?それと何が違うんだ?”と言ったことを覚えています」と振り返っている。

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