【内田雅也の追球】「31」の新たな歴史

[ 2025年8月28日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―1DeNA ( 2025年8月27日    横浜 )

<D・神>力投する背番号「31」の早川(撮影・島崎 忠彦)
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 阪神の背番号「31」の投手が勝利投手となるのは早川太貴が初めてだった。球団創設90周年に歴史的な1勝である。

 厳密に言えば、戦前1942(昭和17)年に内野手の玉置(後に安居)玉一が投手で登板し1勝をあげている。戦中に応召・出征が相次ぎ、選手不足のシーズンだった。

 歴代「31」で投手は1人だけだ。67年の平山英雄である。釧路江南高から第1次ドラフト2位で入団した新人だった。同1位は大阪学院高の江夏豊である。スカウトはともに「たぬき」と呼ばれた佐川直行だった。

 夏の甲子園大会で好投していた。佐川は高知・安芸でのキャンプ中、外野を並んでランニングする江夏と平山を眺め「まるで駄馬と駿馬(しゅんめ)だ」と言った。『左腕の誇り――江夏豊自伝』(新調文庫)にある。

 江夏を奮起させる狙いもあったろうが、高い評価は監督・藤本定義も同じだった。江夏より先に1軍デビューさせていた。ただ、1年目は7試合に登板(先発2試合)、0勝1敗に終わった。翌年には背番号「16」に変わっている。

 阪神の「31」は平山以外は野手か指導者だ。ウィリー・カークランドがつけていた。そして何より掛布雅之の背番号である。掛布引退後は3年間空番となり、萩原誠、広澤克実、浜中おさむ、林威助、ジェフリー・マルテらが背負ってきた。

 早川は育成選手として入団。7月13日に支配下選手に昇格し、背番号は「129」から「31」となった。マルテ退団後2年間空いていた。

 掛布の番号は重荷だろうか。何しろ今年1月に野球殿堂入りした栄光の番号である。

 ただ、一方で期待の大きさも思う。監督・藤川球児は背番号「92」から「22」に変わった2005年から飛躍した。田淵幸一の番号だった「22」を自分の番号とし、監督の今も背負う。「31」を用意した藤川や球団の思いが伝わってくる。

 早川は汗だくとなりながらよく投げた。蒸し暑いナイターだったが、それ以上にプロ初先発の緊張も重圧があったろう。

 5回を2安打無失点で勝利投手の権利を得た。空振りを奪えたのは5回裏2死三塁で蝦名達夫を三振に取った最後の直球(143キロ)だけ。それでも再三のピンチで決定打を許さなかった。

 時代は移り、巡る。阪神の「31」に新たな歴史が刻まれた夜だったと記憶したい。 =敬称略=
 (編集委員)

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