【阪神90周年企画】猛虎たちの終戦と戦後―若林忠志、疎開先の石巻から復帰へ心動かした青年の情熱
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1945(昭和20)年8月15日、タイガースの選手たちはどこで何をしていたか。そして戦後、どのように再出発を切ったのか。猛虎たちの終戦とその後を振り返ってみる。歴史と伝統の重みを知る球団創設90周年。先人たちの思いに迫りたい。今日、戦後80年となる終戦の日を迎える。(編集委員・内田 雅也)
後に「ミスター・タイガース」と呼ばれる藤村富美男はその日を北九州・折尾で迎えた。近くの山中で本土決戦に備えた陣地構築をしていた。7月は広島市内にいたため「阪神では原爆にあったと思っていた」と『戦後プロ野球史発掘』(恒文社)で語っている。
終戦後、故郷の広島・呉に帰ると進駐軍の雑役にかり出され、人間魚雷「回天」の解体をしていた。10月、日本野球連盟関西支局長・小島善平から「スグカエレ」と電報が届いた。<「また野球がやれる」という喜びで体が震える思いだった>と南萬満が書いた評伝『真虎伝』(新評論)にある。プロ野球復活を告げる東西対抗戦への出場要請だった。
1939(昭和14)年1月応召、中国戦線に赴いた。3月、仏印(今のベトナム)から華南(中国南部)へ行軍する際、谷に転落し左大腿部に重傷を負った。42年2月のシンガポール陥落を見届け、ジャワ島への輸送船に乗船、魚雷攻撃を受け撃沈された。南の海を5時間も漂流し護衛の駆潜艇に救助された。まさに九死に一生を得ていた。
電報を受け、関西に戻った。西宮・今津に合宿所があった。後に藤村自身の自宅となる2階建て一軒家である。藤村出征後に入団した土井垣武、金田正泰ら初対面の若い選手が暮らしていた。この今津が戦後一つの基点となった。選手たちは近くの空き地や道路でキャッチボールをした。
甲子園球場は10月から進駐軍に接収されていた。貴賓室は司令官室になった。一塁側2階食堂はバー、1階食堂は物品を販売する売店(PX)となった。通路には兵士の折りたたみベッドが並んだ。
戦中43年、軍への金属供出のため、名物の大鉄傘が解体された。44年からは陸軍輸送隊が常駐した。スタンド下の部屋は軍需工場や資材倉庫となった。三塁側アルプス席内にあった自慢の室内プールは大阪帝国大(現大阪大)水中音波研究所が潜水艦来襲を音で知る研究に使った。
45年4月、食糧事情もひっ迫、内野の土を開墾し、サツマイモを植えた。当時の球場長・石田恒信の手製本『甲子園の回想』には<ついにたまりかね、長年手塩にかけたダイヤモンドに万感の思いを込めてグサリと最初のひとクワを打ち込んだ>とある。
この際、現場監督として従事したのが呉昌征だった。台湾・嘉義農林出身で岡本博志の評伝『人間機関車 呉昌征』によると<学んだことを思い出し、土壌改良から取り組んだ。《世の中のお役に立てる》と新鮮な気持ちがした>。
イモは終戦当時、親指大まで育っていたが収穫には至らず、球場職員らは整地し元に戻した。近くの甲陽学院の生徒が動員され手伝ってくれた。グラウンドには8月6日の空襲で5、6千発の焼夷(しょうい)弾が突き刺さっていた。
《チーム再建へ球団代表の次男入団させ9人ぴったりまでに》
球団代表・富樫(冨樫)興一は故郷の山形・米沢に疎開していた。阪神電鉄本社からの電報を受け、常務・田中義一とともにチーム再建に乗り出した。
戦後のプロ野球復興は東京より関西が早かった。45年10月22日には阪神、阪急、近畿(南海)、朝日の在阪4球団首脳が大阪・梅田の阪急ビル8階食堂に集まり、リーグ戦復活を決議、東京方に連盟再建を呼びかけた。
この議事録に選手数が記されている。阪急は17人いたが、阪神はわずか7人だった。
選手の復員を待つ一方、富樫は自身の次男を入団させた。42年、あの「幻の甲子園」で準優勝した平安中(現龍谷大平安高)のエース、富樫淳である。決勝でサヨナラ押し出し四球となる甲子園大会「戦前最後の1球」を投げた右腕だ。法政大に進み、44年6月、陸軍に入隊していた。
大井廣介は『タイガース史』(ベースボール・マガジン社)で終戦から年が明けた46年を迎えた時、選手は9人かっきりと記している。藤村、呉、土井垣、本堂に復員した御園生崇男、渡辺誠太郎、新人の富樫、野崎泰一、移籍の長谷川善三である。<親会社の阪神電鉄の社員から愛球家を一名かりてきて、ユニフォームを着せたという実話がある>。
46年の元日、阪神は近畿と試合を行っている。戦前から関西恒例の正月大会で西宮球場で行われた。戦後初の球団対抗試合である。富樫が投げ、阪神が5―3で勝っている。
大会は1日だけで終わった。連盟関西支局長・小島善平の手帳には入場者5324人と記されている。45年11月23日、神宮球場(当時ステートサイドパーク)での東西対抗5878人に匹敵する。人びとは空襲警報もなく、野球を楽しめる平和を望んでいた。
46年の公式戦は4月27日に開幕した。阪神は12人で臨んだ。藤村が代理監督を務めた。
監督(投手兼任)だった若林忠志は45年3月、宮城県石巻の妻・房の実家に疎開していた。戦後は水産会社やクリーニング会社の経営に乗り出していた。
富樫の復帰要請を断っていた若林の心を動かしたのは1人の青年の情熱だった。大阪帝国大医学部の学生、伊藤利清で戦前から交流があった。
7月、石巻を訪ね、「日本中のファンの代表としてきました。みんなが待っています」と訴えた。若林はその後、母校のオール法政の東北遠征で投げ、手応えを得た。
9月21日、富樫に電話で復帰申請を行い、22日、後楽園での巨人戦の6回1死三塁からマウンドに上った。
NHKアナウンサー・志村正順がラジオ中継で「若林です。若林が帰ってきました!」と実況した。野球のある平和を実感できる叫びだった。=敬称略=
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