追憶の「1番、サード、ナガシマ~」 遠い存在だからこそ…長嶋さんは「永久に不滅」

[ 2025年6月12日 07:15 ]

巨人・長嶋茂雄(1974年撮影)
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 「1番、サード、ナガシマ~」。場内アナウンスを聞いて急いで神宮球場の階段を駆け上がった。歓声の中、私の目に映ったのは一塁を回り、二塁をうかがう“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の姿だった。初めてのプロ野球観戦は10歳の夏休み、母方の祖母の家を訪れた時のことだった。球場到着が試合開始ギリギリになったため、長嶋さんがヒットを打った瞬間は見逃してしまったが、カクテル光線に照らされ、まばゆいほどに輝いてた長嶋さんの姿は50年過ぎた今も鮮明に覚えている。

 長嶋さんと言えば、「4番サード」あるいは「3番サード」のイメージだが、現役最終年の1974年は30試合ほど「1番サード」で出場している。私が観戦したのはそのうちの1試合で、エースの堀内恒夫さんが投げ、王貞治さんが2本の本塁打を放って巨人がヤクルトに大勝した。その後も何度か生観戦したが、あの試合以上にインパクトが残った試合はない。

 長嶋さんの訃報に接し、ロッテ・吉井監督は「私にとってのスーパースター。子供のころのヒーローでした」と語ったが、同世代の自分にとっても同じ。長嶋さんはスーパースターであり、ヒーローだった。福島に住んでいたため、身近に少年野球チームなどない時代だったが、“遊び”と言えば野球だった。町営のグラウンドに行けば、必ずと言っていいほど誰かがいる。ジャンケンでチーム分けして試合が始まる。9人対9人じゃなくても全然OK。日が暮れるまでボールを追いかけた。家に帰れば、テレビでナイター中継。ルールは自然に覚えた。今とは違って巨人戦以外の放送はほとんどなかったので、野球と言えば、巨人の時代。長嶋さんや王さんのプレーが野球の“教科書”でもあった。1973年にカルビーから「プロ野球スナック」(現在はチップス)が発売になり、カード集めにも夢中になった。そう言えば、ONツーショットの“お宝カード”はどこにいってしまったのだろう。

 縁あってスポーツニッポン新聞社で働くことになったが、あの日の試合観戦がなかったら、スポーツ紙の記者を志すことがなかったかもしれない。大人になって巨人ファンではなくなったが、長嶋さんは特別な存在。密かにお会いできる日がくればと願い、「メークドラマ」の96年に生まれた長男には長嶋さんの背番号にちなんだ名前を付けた。定年間近の58歳でプロ野球記者に。残念ながらお会いする機会には恵まれなかったが、彼が築き上げた世界に触れることができたのは幸せなことだと思うし、遠い存在だからこそ、ずっと心の中の存在であったからこそ、私の中では「長嶋茂雄は永久に不滅」なのだ。

 長嶋さんが亡くなった3日の取材で、吉井監督は日曜日にストッキングを見せてユニホームを着る「オールドスタイル」で試合に臨む理由について「あれはジャッキー・ロビンソンに敬意を表しているんですけども、長嶋さんたちプロ野球を築いてきてくれた人たちへのリスペクトも込めてやっているんです」と話してくれた。一部で競馬好きの指揮官が日曜日はジョッキー(騎手)スタイルで臨んでいるという噂があり、それを信じ込んでいたが、「ジョッキー」ではなく、「ジャッキー」だったとは…。記者としては痛恨の勘違い。それでも長嶋さんなら笑い飛ばしてくれるかもしれないと勝手に思っている。(ロッテ担当・大内 辰祐)

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