野球で得た経験大切に 中西健太さん「経営者の道」歩む

[ 2025年6月11日 06:00 ]

自身のブランドの服を着用し仕事に臨む
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 【あの人に逢鷹(あいたか)】ホークスOBの今を伝える連載「あの人に逢鷹」。今回は3月に開催されたソフトバンクOB戦でも元気な姿を見せた中西健太さん(39)だ。2008年に期待の若鷹として台頭。以降は悔しいシーズンを送り、27歳で現役を引退した。現在は背番号27にちなんで設立した株式会社「two―seven」の代表取締役。球界での数々の経験を糧に、さまざまな事業を展開し、充実した日々を送っている。

「正直、少しホッとした気持ちもあったんです」。中西さんは2013年に戦力外を告げられた時の心境をこう振り返る。

 ウエスタン・リーグで首位打者、最多安打、最高出塁率の好成績だった。他球団から寄せられていた関心も強かった。引退の意志を球団に伝えると「えっ?」と驚かれ「冷静になった方がいいぞ」と諭された。

 ただ、決心は固かった。体は限界。肉離れを繰り返し、試合に出る時は常に両足をテーピングでぐるぐる巻きにしていた。自律神経の不調にも悩まされていた。球団事務所に呼ばれた時は事態を察してショックを受けたが「やっと終わったか…」との思いもあったという。

 滋賀・北大津から04年のドラフト4位で入団し、08年に初の1軍昇格。6月3日のヤクルト戦の第1打席でプロ初安打を放ち、続く打席でプロ初本塁打。第3打席で初の猛打賞まで記録した。その年は59試合出場で打率・250、3本塁打、14打点と頭角を現した。

 大きな期待がかけられた翌年はオープン戦から好調でアピールを続け、開幕スタメンを勝ち取る。しかし、結果を残せなかった。「自主トレから“勝負の年”と臨みました。休養日も打撃練習をしたり、休みなしにバットを振りましたが、どうあがいても結果が出なくて…」。以降のシーズンは故障も重なり、12年に4年ぶりに本塁打を放つが、1軍には定着できなかった。

 引退後は滋賀に戻り「メガスポーツ」に入社。スポーツ用品店「スポーツオーソリティ」の彦根店でベースボール担当として働いた。ホークス時代のファンが県外からも来店してくれて励みになったという。

 「もう選手じゃないのに遠方から来店してくださったり、本当にうれしかったです。現役の時はそれが当たり前になっていましたが、ファンの方のありがたみを感じました」

 2023年に彦根店の閉店とともに退社し独立。現在は最初の背番号27にちなんだ「two―seven」を設立し、複数の事業を展開中だ。その一つがオンライン受注販売のアパレルブランド「HOME GROUND STORE」を立ち上げ、現役時代の仲間が何人も愛用してくれている。

 また、地元テレビ局での高校野球の解説や野球教室に加え、スポーツ選手のセカンドキャリアを支援するアスリートマネジメント事業も業務委託の形で請け負っている。本年度中に小中高生向けの個別学習塾も開校する予定だ。

 経営者となり改めてプロ野球での数々の経験がプラスになっていると気づいた。「人生で起こることには全て意味がある」。苦しかった時、当時現役だった小久保監督にかけられた言葉を今も胸に刻んでいる。

 「僕一人では何もできない」。周囲のサポートに感謝を口にする中西さんは「だめだったら経営はゼロ、マイナスになる可能性もありますが、やりがいはあります。これからもどんなことと出合えるか。楽しみですし突っ走っていきます」と笑みを浮かべた。(木下 大一)

 ○…中西さんが手がけるアパレルブランドが「HOME GROUND STORE」だ。「一人一人がホームグラウンドに立ち、それぞれが活躍できる場所や分野を大切にしたい」との思いが込められている。パーカ、トレーナーやキャップなどをはじめ、ゴルフウエアやサウナハットも販売されており、中西さんのインスタグラムのリンクから商品をチェックすることができる。

 ◇中西 健太(なかにし・けんた)1986年4月10日生まれ、滋賀県出身の39歳。北大津では3年夏に甲子園に出場し、1回戦でダルビッシュ(東北)から2安打を放つ。04年ドラフト4位でダイエーに入団。3年目のシーズン終了後に捕手から外野手に転向し、翌08年に1軍で期待の若手として頭角を現す。13年に現役引退。右投げ右打ち。

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