【長嶋茂雄氏を悼む】記者に語った真実 「メークドラマ」は造語と知っていた そして大谷翔平への思い

[ 2025年6月3日 10:50 ]

1996年10月、首位との最大11.5ゲーム差をはね返しリーグ優勝を決めた巨人・長嶋茂雄監督がナインに胴上げされる
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 プロ野球の巨人の三塁手として活躍し、引退後は巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日午前6時39分、都内の病院で肺炎のため死去したと読売新聞グループ本社、読売巨人軍などが発表した。スポニチ本紙の伊藤幸男記者が追悼した。

 今思えば、野球界のバトンタッチを込めて、大谷に会いに行ったのかもしれない。3月15日、巨人―ドジャースとのプレシーズンマッチ。長嶋氏の強い意志があったからこそ、体調を心配する周囲の不安を吹き飛ばすように、明るい表情で大谷と数分間の会話を楽しんだ。公の場に姿を現したのがこれが最後。同28日、巨人―ヤクルトとの開幕戦観戦はかなわなかった。

 世界に挑むアスリートが好きだった。野球人として、前人未到の二刀流に挑む快挙がうれしかったのだ。

 16年7月3日の日本ハム―ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)。「1番・投手」で先頭打者アーチを叩き込むと、投げても8回10奪三振無失点で勝利投手に。大谷の活躍を伝えると「先頭打者でホームラン!?長いプロ野球の歴史の中でもいないでしょ。凄いよね」。

 脳梗塞の症状が落ち着き始めた09年7月、記者は長嶋氏が名誉会長を務める北海道・千歳市の男子ゴルフ「セガサミーゴルフトーナメント」会場で6年ぶりに会った。カートとはいえ積極的にコースを回りギャラリーの声援に応えながら「私はこの病で落ち込む人々に勇気を与えないといけない。だから治す。いや、治してみせる。もう一度バットだって振りたいからね。長嶋茂雄だから」と話していたのを思い出す。

 超一流のコピーライターでもあった。10・8の「国民的行事」、そして「松井4番千日計画」や「メークミラクル」。広島との最大11・5ゲーム差を逆転優勝した96年オフ、「メークドラマ」発案の裏話をうれしそうに明かしてた。

 「メークドラマって正確に英訳すると何ていうか知ってる?“MAKE IT DORAMATIC”なんです。あえて分かりやすくね。ファンに親しみやすい言葉だったから」

 残念ながらアテネ五輪日本代表監督として金メダルを獲得することは出来なかった。それでも不世出のスーパースターであり、エンターテイナーであることに変わりはない。

 「ヤキュウ」に当たる89歳で去ったミスタープロ野球。巨人の日本一奪回を見届けることはできなかったが、スーパースターの後継者は見つけた、と私は思いたい。(96~98年巨人担当 伊藤 幸男)

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