心優しき力持ち 急逝したトニ・ブランコさんと家族同然 中日の桂川元通訳も故人を偲ぶ

[ 2025年4月12日 07:00 ]

中日時代のトニ・ブランコさん
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 プロ球団の助っ人の通訳の仕事は、言葉を訳すだけではない。慣れない異国での生活面を、役所での諸手続や子どもの面倒まで全面的にサポートする。長期間在籍した助っ人の担当通訳なら、もはや家族のような存在だ。

 日本時間9日に母国・ドミニカ共和国での悲劇的な事故で他界したトニ・ブランコ氏。亡くなる直前に一緒にいた元西武のヘルマンさんを突き飛ばして命を救ったと伝えられる心優しい助っ人を、09年の中日入団時から担当したのが桂川昇元通訳(現球団本部国際グループ長)だ。突然過ぎる訃報に沈痛な面持ちを浮かべながら、10、11年のリーグ連覇に貢献した大砲の思い出を語ってくれた。

 「4年間一緒にやって、僕が接した外国人の中では一番バットを振っていました。優勝した時も夜中の12時ぐらいまでよく室内で練習していましたね」

 当時の落合監督のチームは、12球団随一の練習量。失礼ながら、中日担当だった自分は「助っ人はマイペースで調整するもんだ」という先入観を持っていた。「とても付いていけないだろな」と思っていたが、日本の若手以上にがむしゃらに練習するブランコの姿に、それを吹き飛ばされたのを覚えている。

 「とうもろこしの粒を持って来て“これを投げてくれ”と。それで打ったりもしていました」と桂川さん。調子が上がらない時は、納得がいくまで決してバットを振るのをやめなかったという。
 私生活では明るく家族思いの好漢。「おっちょこちょいなところもあって。スーパーに自転車を忘れて帰ったり。子どもたちが野球が好きで、夜中に部屋でスライディングの練習をして頭を切った時に病院の手伝いもしましたね」。桂川さんは今年1月に久々に電話で会話したのが最後だったという。今でも目をつぶれば、バンテリンドームの天井スピーカー直撃の超特大弾を放った場面など、当時の勇姿が浮かんでくるそうだ。

 「でも、まだ本当に信じられない。インパクトのある選手だったんで」。多くの助っ人を取材してきた記者にとっても、あの規格外のパワーと生真面目な練習姿勢はNO・1。あまりに早すぎる逝去が残念でならない。(記者コラム・山添 晴治)

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