谷繁氏の父・一夫さん「野球の申し子と思った」二人三脚で鍛えた愛息の殿堂入りを病床から祝福

[ 2024年1月18日 15:40 ]

プロ野球史上44人目の通算2000安打となる右前打を放ち、花束と記念ボードを掲げる現役当時の谷繁元信捕手

 野球殿堂入りを果たした元中日監督の谷繁元信氏(53)の父・一夫さん(87)が18日、本紙に祝福メッセージを寄せた。幼少期に「野球の申し子」と見抜き、二人三脚で愛息を鍛えた。09年に広島県庄原市の自宅の隣に「谷繁元信 球歴館」を開設。自作の練習道具や野球用具、記念写真などを展示していたが、高齢で近年は体調を崩し、昨年11月に閉館した。病床に届いた吉報を心から喜んだ。

 
 野球殿堂入り、おめでとうございます。球界でも最高峰の表彰と聞き、私も本当にうれしく思います。直接会って、しっかりと手を握りたいと思いましたが、病床の身でそれはかないません。会えば、涙が出るかもしれません。

 おしめも取れない1歳の頃から、八畳間にカーテンを張って青いプラスチックのバットでテニスボールを打っていました。野球をするために生まれてきた「野球の申し子」と思いました。材木屋の倉庫に4~5メートルの竹の棒を立てて棒登りをしたり、冬は雪が多いところなので、毛糸の目出し帽をかぶり、腰に1・5キロの砂袋を巻いてお寺の約150段の階段を駆け上がって下半身を鍛えました。「しっかり根性をつけろ」と、時にはスパルタ教育に近いことをしたのも覚えています。

 「才能は有限、努力は無限」という言葉があります。息子はいつもそれを心に留めていました。こういった賞をもらえるのは、全て息子の努力のたまものです。私には泣き言を言ったことはありませんが、プロ4年目の頃に「このままではクビになる」と思った時期もあったそうです。そこでボビー・ローズという選手に出会ったことが大きな節目でした。メジャーリーガーのやり方を見て、とにかく強い体づくりをしないといけないと努力したことが、最多試合出場記録にもつながったと思います。

 横浜時代の98年に甲子園で38年ぶりの優勝を決め、佐々木選手と抱き合っている姿は、今もまぶたに残っています。もう一つ、中日時代の13年5月に名古屋からずっとチームに付いていき、神宮球場でやっと見届けることができた一、二塁間への2000本安打は、忘れられません。

 私が高齢で運営できなくなり、昨年11月で「球歴館」は閉めました。数々の思い出ある展示品を多くの方に見ていただき、感謝の思いしかありません。あの青いバットも、息子が子どもの時から使って来たユニホームやグラブも、ゴールデングラブ賞でいただいたミットもあります。それらは全て自宅には残さず、息子の了解も得て、庄原市役所を通して地元の小、中学校、道の駅などに無償譲渡するつもりです。将来の夢を持つ子どもたちの何らかのお役に立てれば、本望です。

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