故郷へ勇気を 福島・浪江町出身の早大・横山が好救援

[ 2012年6月18日 06:00 ]

<早大・九州共立大>2番手で登板し2回1/3を無失点。好救援で決勝に導いた早大・横山

全日本大学野球選手権準決勝 早大3-2九州共立大

(6月17日 神宮)
 早大は横山貴明投手(3年)が準決勝の九州共立大戦で好救援を見せ、5年ぶり4度目の日本一に王手をかけた。横山は福島県浪江町出身で、昨年の東日本大震災で実家が被災。現在も避難生活を余儀なくされる地元・福島に勇気を与える全国初勝利を挙げた。亜大はエース東浜巨(なお)投手(4年)が登板しなかったものの、龍谷大を下して9年ぶりの決勝進出。18日の決勝は02年と同じ早大―亜大のカードとなった。
【試合結果】

 勝敗を左右する、しびれる場面だった。横山は三塁側ブルペンから、驚いた表情でマウンドに向かった。

 「あの場面で行くとは思わなかった。準備はしていましたが、びっくりしました」

 6回2死一、二塁。同点打を許した先発・吉永の後を受けての登板だった。三振でピンチを切り抜けると、2回1/3を無安打無失点。早大を5年ぶりの決勝に導き「ようやくチームの戦力になれました」と胸を張った。

 天国の恩師に届ける、全国初勝利だった。実家は福島第1原発から20キロ圏内の浪江町。昨年の震災で、中学時代に所属した相双中央シニアの渡辺潤也監督が亡くなった。内野手だった横山を投手に抜てきしてくれた恩人だ。早大入学後も年末に帰省した際に、食事をともにしていた。「地元に帰ったら悩みを聞いてもらっていました」。成長した姿を大舞台のマウンドで見せた。

 昨春にリーグ戦で初勝利を挙げたが、同年秋は右手の血行障害で登板なし。今春は股関節を痛めた影響で中継ぎで3試合投げただけで、5月以降は登板がなかった。ブルペン投球再開は約2週間前。「(リーグ戦では)全然投げていないので、どんどん投げて優勝できるように貢献したい」と今大会に間に合わせた。

 原発関連の仕事をしていた父・民一(たみいち)さん(42)は震災で職を失った。震災後は家族は新潟に避難し、現在も福島県内で家族バラバラでの生活を送っているという。「きょうは見に来ていなかったので」と残念がったが、地元や家族に勇気を届ける父の日の35球だった。

 ◆横山 貴明(よこやま・たかあき)1991年(平3)4月10日、福島県浪江町生まれの21歳。小2から野球を始める。浪江中では相双中央シニアに所属。聖光学院では1年秋からベンチ入りし、甲子園に3度出場。早大では2年春にリーグ戦デビュー。通算8試合で1勝1敗、防御率4・71。1メートル80、79キロ。右投げ右打ち。

 ▼早大・岡村猛監督(横山は)リーグ戦で不本意な状態だったが、信頼して出しました。

 ▼早大・吉永(5回2/3を2失点で2番手・横山に継投)横山さんは直球が切れていた。抑えてくれて助かりました。

 ▼日本ハム・斎藤(母校早大の決勝進出について) ロッカールームで少し見ました。主将の佐々木がケガでいないので、杉山や地引に頑張ってほしい。優勝してほしいですね。

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2012年6月18日のニュース