39歳の山本篤、男子走り幅跳びで日本新も4位 前回リオ銀に続く2大会連続メダルならず 小須田は7位

[ 2021年8月28日 21:19 ]

東京パラリンピック第5日 陸上 ( 2021年8月28日    国立競技場 )

<パラリンピック 陸上>男子走り幅跳び(T63)決勝、メダルを逃すも、好記録を残し、関係者に向かって手を上げる山本(撮影・木村 揚輔)
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 男子走り幅跳び(義足T63)決勝が行われ、16年リオデジャネイロ大会銀メダリストの山本篤(39=新日本住設)は自身の持つ日本記録を更新する6メートル75を跳んだが、4位。4回目の大舞台はメダル獲得はならなかった。小須田潤太(30=オープンハウス)は自己ベストを更新する5メートル95で7位に入った。

 銀メダルに終わったリオから5年。山本は無観客の国立競技場で、勢い良く走って大きく跳んだ。金メダル目標を宣言していた前回大会とは異なり、今大会は「金メダルへの思いは、あまりない。しっかり、自分の最高のパフォーマンスをしたい」と挑んだ。

 1回目に自己記録の6メートル70にあと8センチに迫る6メートル62をマークし、1回目終了時点で5位につけたが、その後は記録を伸ばせなかった。しかし、5回目で6メートル75を跳び、3位に浮上。雄たけびを上げた。しかし、7メートル台のメダル争いとなった最終6回目、記録を伸ばせなかった。

 高校2年生だった2000年の春、バイク事故で左足の大腿部を切断した。高校卒業後は、義肢装具士を目指し、専門学校へ。そこで競技用義足と出会い、陸上を始めたことで「人生が凄く変わった」。以降、08年北京大会から、今回で4大会連続出場。パラ陸上界の先駆者となった。

 パイオニアとして、常に独自の道を進んできた。18年には冬季パラの平昌大会にスノーボードで出場し、二刀流に挑戦。後進の育成にも力を入れ、女子走り幅跳びの前川楓(23=新日本住設)を指導している。いくつもの挑戦の理由は「もっと、パラリンピックというものが大きくなれば」との熱い思いがあるからだ。

 山本といえば、助走前に手拍子をして観客を盛り上げることでおなじだった。しかし、新型コロナウイルスの感染が拡大して以降、その光景は消えた。この日の国立競技場にも、歓声はなかった。それでも、「パラリンピックをしっかり知ってもらうチャンスだ」と込めて跳んだ。パイオニアの、その思いは届いたはずだ。

 ◇山本 篤(やまもと・あつし)1982年(昭57)4月19日生まれ、静岡県掛川市出身の39歳。大体大―新日本住設株式会社所属。小学校では野球チーム、中高はバレーボール部に所属。高2だった02年にバイク事故で左足の大腿部を切断。掛川西高を卒業後、義肢装具士になるための専門学校で競技用義足と出合い、陸上を始める。08年北京パラリンピックでは幅跳びで銀メダルを獲得し日本人義足陸上選手として初めてメダルを手にした。

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