【VTR】54年前の歓喜 アジア初の五輪決定「誠意が天に通じた」

[ 2013年9月8日 10:11 ]

1959年05月27日、東京五輪決定を報じるスポーツニッポンの1面

 1964年の五輪開催地がアジア初の東京に決まったのは、59年5月の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ミュンヘン)。当時8ページのスポニチ本紙も歓喜の瞬間を1面、2面を割いて大々的に報じた。<1959年(昭34)5月27日付スポニチ本紙紙面から>

 1回目の投票で東京34、デトロイト10、ウィーン9、ブリュッセル5。東京が過半数を獲得し、欧米の3都市を破った。

 金子静雄毎日新聞特派員は「十分に予期していたことではあったが、発信用のタイプに向かった私は感慨にうちふるえ“自分でもどうかしている…”と思うほどタイプを打つ手がもどかしかった」と感慨を表現。

 共同電は「投票はわずか十五分ほどで終り、オットー・メイヤー書記長が会議のドアを開け放し“トウキョー”と叫んで記者団に結果を知らせた。また吉報を聞いた日本の招致使節団は近くのレストランのガーデンになだれ込み歓声を上げ肩をたたき合って喜び、名物のミュンヘンビールで乾杯した」と現地の興奮を伝えた。

 竹田恒徳体協(日本体育協会)会長代理は「スポーツマンとしてこれ以上の感激はない。誠意が天に通じたのかも知れません。とにかく重荷がおりた。今夜は本場ミュンヘン・ビールがさぞうまかろう」と喜びながらも、60年開催地のローマと比較し「これからが大変だ。東京も少なくとも清潔な都市にしたい」と早くも本番を見据えている。

 2面には体協、都庁の喜びの様子。あまりの騒ぎに岸体育館前には消防車が出動する一幕も。施設費と運営費、東京五輪開催の経費は300億円といわれ「これらの費用は都と政府が協力して捻出することになろうが、いずれにしても、国民の血税から出る貴重なお金なのだから、ムダなく有効に使用し、世界中から“日本はりっぱにオリンピックを開いた”といわれるようになってもらいたいものだ」と指摘している。

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2013年9月8日のニュース