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なでしこ2大会連続4強!岩渕 待望のW杯1号が決勝弾

[ 2015年6月29日 05:30 ]

オーストラリア戦の後半、ゴールを決めガッツポーズする岩渕(16)となでしこイレブン

女子W杯準々決勝 日本1―0オストラリア

(6月28日 エドモントン)
 またも日替わりヒロインの活躍で、4強を決めた。オーストラリアと対戦したなでしこジャパンは1―0で勝利を収め、2大会連続で準決勝に駒を進めた。後半42分に途中出場のFW岩渕真奈(22=バイエルンM)がこぼれ球を押し込む執念のW杯初ゴールを挙げ、切り札としての役目を果たした。連覇を狙うなでしこは決勝進出を懸け、7月1日午後5時(同2日午前8時)にエドモントンでイングランドと激突する。

 仲間がつないだボールを、岩渕は思い切り蹴り込むだけだった。後半42分、岩清水が相手と交錯しながらゴール前の岩渕にパス。「うわっ、来たー」。DFより一瞬早く右足を出し、ネットに突き刺した。「うわぁ、入っちゃった!」。4強を決めるW杯初ゴール。「みんなが90分頑張ってくれて、おいしいところを頂きました」と笑った。

 出番は後半27分だった。「君が決めて勝つんだという思いで使った」と佐々木監督。「(それまでの内容は)全然、日本の方が良かった。得点だけが足りなかった」。自分で試合を決める決意だった。試合直前に27日のJ1山形戦でハットトリックを決めたG大阪・宇佐美の映像をインターネットで見た。ドイツ移籍後の12年から親交を深めた親友。「必ず宇佐美が点を取ったらその点を見ようと思って。出発前に慌てて見てきて良かった。宇佐美さまさまです」。同学年のアタッカーが強い刺激となった。

 W杯で決めた代表4点目には、4年間の思いが凝縮されていた。チーム最年少18歳で挑んだ前回大会、無得点に終わった。「試合にも出られないし、できないこともたくさんあった」。12年ロンドン五輪後、ホッフェンハイムで初めて一人暮らしを始めた。慣れないドイツの生活に、日本とはサッカー観も全く違った。パスも来ない。球際でも吹き飛ばされた。「“何だよ”って思うことだっていっぱいあった」。今季加入したバイエルンMではクラブ管理の下、休日にも課される徹底的な走り込みで足腰は鍛えられた。なでしこ最小の1メートル55だが、太腿の太さはチームで1、2。「もともと筋肉質。ズボンは選ぶの難しいし。でも、これがあるから自分がある」。天才が、努力に裏打ちされた自信を得た。

 ケガとの重圧にも打ち勝った。今年2月に右膝外側側副じん帯を部分断裂し、5月の国内合宿中にはその右膝を再び打撲。気持ちは焦る。5月29日の合宿最終日には、サポートメンバーの横山を呼び止め「出られないかもしれないから(緊急招集の)準備をしていてね」と漏らした。患部にはテーピング。プレー中に痛みが走る。だが、諦めるわけにはいかない。大黒柱の澤には04年アテネ五輪予選の北朝鮮戦で右膝半月板損傷を押し、フル出場で五輪の出場権を獲得したことを引き合いに励まされた。「4年に1回しかない舞台。無理をしないと」と岩渕は腹をくくった。試合後は、澤に抱きしめられた。

 切り札の一撃で、なでしこは準決勝に駒を進めた。「このメンバーであと2試合戦えてうれしい。一つでも良い結果を残したい」。連覇まであと2勝。今大会も最年少22歳の活躍で、なでしこが一気に活気づいてきた。

 ◆岩渕 真奈(いわぶち・まな)

 ☆生まれとサイズ 1993年(平5)3月18日、東京都生まれ。1メートル55、53キロ。

 ☆きっかけ 兄・良太(J3琉球MF)の影響で始める。

 ☆競技歴 07年に日テレ・メニーナからトップチームの日テレに登録され、リーグ優勝を3度経験。13年にホッフェンハイムに移籍。今季からバイエルンMでプレーし、76年以来2度目のリーグ優勝に貢献した。

 ☆日本代表 08年U―17女子W杯では準々決勝敗退ながら大会MVP。16歳だった10年2月の東アジア選手権・中国戦でA代表デビュー。09年FIFA女子最優秀選手の投票で候補10人に入り、1位票を5票集めた。A代表通算28試合4得点。

 ☆ドリブル 幼少期から得意で“マナドーナ”の異名を持つ。日テレ・メニーナ時代は当時東京Vユースコーチだった元日本代表MF菊原志郎氏の指導で磨きをかけた。

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