【震災から10年 私の背中を押してくれた曲<4>】福山、ミスチル、遊助…思いは永遠に

[ 2021年3月11日 09:00 ]

 東日本大震災は11日で発生から10年を迎えました。スポニチアネックスでは「私の背中を押してくれた1曲」アンケートを実施。たくさんの曲にまつわるコメントをいただきました。なかなか前を向けなかった時、一歩を踏み出せなかった時、心に寄り添ってくれた、背中を押してくれた曲の数々。皆さんからいただいた「私の背中を押してくれた1曲」を紹介します。

 【東日本大震災10年~音楽の力~「私の背中を押してくれた1曲」】アーティスト名は五十音順。一部は歌手名・楽曲だけ

◆Bank Band「to U」(作詞桜井和寿・作曲小林武史、2006年)
→今でも聴く度に泣いてしまうけど、その後前向きにさせてくれます。

◆BUMP OF CHICKEN「supernova」(作詞・作曲藤原基央、2005年)
→2005年発売のこの曲の歌詞に、10年前鳥肌が立ちました。どんな物事にも、いのちにも、必ず終わりがある。そんな厳然たる事実を優しく淡々と歌い上げる中で、最後の「君の存在だって 何度も確かめはするけど 本当の存在は いなくなってもここにいる」「僕らの時計は 止まらないで動くんだ」という言葉に涙が止まりませんでした。限りなくいのちに寄り添ってくれる素晴らしい曲です。

◆B'z「Brotherhood」(作詞稲葉浩志・作曲松本孝弘、1999年)
→震災直後のテレ朝の某音楽番組で魂の演奏。元気が出た。

◆BTS「Answer:Love Myself」(作詞Ashton Foster・Candace Nicole Sosa・Conor Maynard・j-hope・Jordan "DJ Swivel" Young・Pdogg・Ray MichaelDjan・RM・SUGA・Jung Bobby、作曲Pdogg、2018年)
→勉強に病気…自分自身が嫌いになった時がありました。そんな時に寄り添ってくれたのがこの曲です。「自分の間違いでできた傷跡全てが僕の星座なのに」「僕は自分自身を愛さなくちゃ」聴いて号泣した覚えがあります。自分自身を愛さなくちゃいけない、自分は一人しかいない、自分は自分で守らなきゃと思えるようになった曲です。

◆Bigfumi「Trust」「Life」(作詞・作曲Bigfumi、2018年)
→いろんなことで悩み苦しんでいる時、インストアライブで歌っている所に遭遇しました。その音と歌詞に、涙が溢れました。「Trust」の「一人で流した汗も 一人でこぼした涙も 流れ落ちたその場所だけはあなたを知ってる」そこで号泣しました。そして、「Life」にも涙。この2曲に、私は救われました。そして背中を押されました。今も、ずっと聴いてます。

◆氷室京介「IF YOU WANT」(作詞・作曲氷室京介、2011年)

◆平原綾香「Jupiter」(作詞吉元由美・作曲Gustav Holst、2003年)

◆V6「WAになっておどろう」(作詞・作曲長万部太郎、1997年)

◆福山雅治「暁」(作詞・作曲福山雅治、2014年)
→東日本大震災の後に発表された曲。挫けそうな心を救ってくれた名曲です。福山さんは被災地を何度も訪れていますし、震災後のライブでもまず黙祷を捧げ、自分ができることとして音楽の力をくれました。今でもつらい時はこの歌を聞きます。そうすると自然と、人はひとりではないこと、どんなに悲しくても明日は必ず来ることを実感して、頑張ろうと思えてきます。人は無力だし、泣いてもいいんだよ、というところにも救われます。

◆布施明「My way」(作詞Paul Anka、訳詞中島潤、作曲Claude Francois・Jacques Revaux、1972年)
→久慈で歌って下さった「My way」です。岩手出身の私は震災当時既に東京に住んでおりましたが、私の両親、姉、主人の両親も岩手に住んでおります。震災から1カ月も経たない内に岩手に息子を連れて帰省し、沿岸を廻りました。岩手に行って思ったのが、皆んな笑顔がなく、このような時に笑ったり、体を動かしたり、何かでかんどうして良いのか…と話していました。そんな中、布施明さんが歌われたMy wayを聴き、ただ涙が溢れてました。頑張って行こうと思えた、歌声であり、背中を押してくれた曲です。

◆フラワーカンパニーズ「深夜高速」(作詞・作曲鈴木圭介、2004年)
→色んな事が壊れて、生きることを色々考えて、踏みとどまったり、一歩進む背中を押してくれた曲。生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる。

◆ホイットニー・ヒューストン「GREATEST LOVE OF ALL」(作詞Linda Creed、作曲Michael Masser、1985年)

◆POTSHOT「HITOTSU」(作詞・作曲RYOJI、1999年)
→岩手で被災し、停電、ガソリン不足、食料不足などこの状況がいつまで続くか分からない、何から行動したらいいか分からない状況を後押ししてくれた曲。「限られた時間の中にいるんだ、こんなところじゃ終われないんだ まだ先があるんだもっといけるはずだろ、信じてるんだ」という歌詞になんど救われたか。自分を信じてとにかく行動をし、ボランティアにも積極的に参加しました。行動しない限り何も生まれないし、何も変わらない。何とかなるだろうではなく、何とかしなければならないと強く気持ちを持って行動しました。力強く前へ進むための一歩を後押ししてくれました。

◆槇原敬之「どんなときも。」(作詞・作曲槇原敬之、1991年)

◆Mr.Children「終わりなき旅」(作詞・作曲桜井和寿、1998年)

◆Mr.Children「かぞえうた」(作詞・作曲桜井和寿、2011年)
→今でも聴く度に泣いてしまうけど、その後前向きにさせてくれます。

◆森高千里「渡良瀬橋」(作詞森高千里・作曲斉藤英夫、1993年)
→友達と東日本大震災の大きな被害にあった三陸鉄道を乗る目的で、旅行へ行った時、宿泊した田野畑村のホテルのバーでカラオケで歌ってる人がいて、いい歌だと思った。時間はゆっくり流れるものだと思える歌だと思った。

◆森山直太朗「今ぼくにできること」(作詞・作曲森山直太朗・御徒町凧、2012年)
→震災直後に生まれた曲。誰もがそれぞれの立場で何をして良いのかわからない心境だったと思います。この曲が生まれた経緯を語りそのあと聴いた時は胸が熱くなりました。自分のできることをまずやろうと思わせてくれた忘れられない曲です。

◆山下達郎「希望という名の光」(作詞・作曲山下達郎、2010年)
→停電と断水、上空からは福島へ向かう何機ものヘリコプターの爆音と終わらない余震。この不安がいつまで続くんだろうと、暗い気持ちで家の片づけをしていた時にラジオから流れてきた達郎さんの曲。音楽に、この時ほど勇気づけられた時はありませんでした。聞き終えた時には自然と涙があふれ、その涙のおかげでちょっとだけ気持ちが楽になった事を今でも忘れません。

◆YUI「fight」(作詞・作曲YUI、2012年)

◆YUI「Green a.live」(作詞・作曲YUI、2011年)

◆遊助「檸檬」(作詞遊助・作曲大隅知宇、2013年)
→震災で兄を亡くしました。仲良しと言える兄妹ではなかったと思うけど、
突然会えなくなるなんて思わなかった。今も毎月、月命日はお墓参りに行くけど、どんなに時間が経っても辛くて苦しいです。できるなら震災は忘れたいくらい。生き残った私は笑っちゃいけない。私だけが楽しく過ごしちゃいけないってずっと思ってました。だけど、大好きな遊助の曲を聴いて、私が笑ってたら空の上から見つけやすいかな?と、思えた曲です。この歌詞、歌に何度も救われました。辛く苦しい時、寄り添ってくれた友達がいます。私を思って泣いてくれた友達がいます。その人達のためにも私は笑わなくちゃいけない。何より空の上の兄が心配する。だから私は震災を忘れない。忘れたくないし、それを受け止めて今日も生きていく。いつか空の上で会った時、私、たくさん笑ったよって伝えるために。

◆ゆず「ヒカレ」(作詞北川悠仁、作曲北川悠仁・JIN、2014年)

◆Linkin Park「One more light」(作詞・作曲Mike Shinoda・Francis White、2017年)

◆ONE OK ROCK「Be the light」(作詞・作曲Taka、2013年)

(終わり)

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