和田アキ子、芸名は「マーガレット和田」だった!?

[ 2019年8月30日 22:35 ]

和田アキ子
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 歌手の和田アキ子(69)が30日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル」(金曜後8・00)に出演、17歳のとき、ホリプロ創業者の堀威夫氏(86)から直接スカウトされて歌手デビューしたが、芸名が「マーガレット和田」になるかもしれなかったと打ち明けた。

 和田は歌手生活51年目、紅白出場39回を誇る、日本を代表する歌手のひとり。

 中学生のころ、大阪ミナミでケンカに明け暮れ、「極道」しか進む道がないとも思い詰めていたが、「R&B」の一枚のレコードのとりこになり、アマバンドを結成し、ライブのステージに立つようになっていた。

 大阪の音楽喫茶で歌っている和田をホリプロの社員が見かけた。
 「いやー、素晴らしい。ぜひ、うちの社長に会ってもらえませんか」
 
 後日、東京から堀氏が待ち合わせの場所にやってきた。
 「君がミナミのアコか」と声をかけてきた堀氏は角刈り、派手なスーツ姿で、和田は「こいつ、ヤ―さん、ちゃうやろな。どっかに売られるんか」と身構えた。

 名刺を受け取ったが、堀氏が創業した「ホリプロ」という芸能事務所の名前を和田は知らなかった。ついてきた仲間に「ほんとにこんな会社あるのか、調べて」と依頼した。仲間が電話で確認し、「ホンマみたいですよ」と和田に伝えた。

 当時、ホリプロは創業7年の小さな会社。堀氏は「あなたで勝負したいんです。その立派な体は世界で通用する」と必死に説得した。和田は「まったくその気がなかったはず」だったが、堀氏に対し、「わかりました。堀さんを信じます」と答え、芸能界入りを決心した。

 堀氏が世界で通用すると考えた理由は「背が高い(1メートル74)」「英語で歌える」「武道の有段者(中1で柔道初段)が海外で人気がある」ことだった。

 その後、和田は上京。1968年に「星空の孤独」でレコードデビューした。キャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」だった。芸名は「マーガレット和田」が候補にあがったが、本人のイメージと合わないため却下された、という。

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2019年8月30日のニュース