“マイナー競技”から支援…フリースタイルスキー日本勢活躍の裏に“先駆者”の存在

[ 2018年2月18日 11:10 ]

メダルセレモニーで銅メダルを手に感極まった表情の原大智
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 平昌五輪の男子モーグルで原大智(20)が銅メダルを獲得し、注目が集まったフリースタイルスキー。原の胸に輝く銅メダルを見ながら、以前に取材したことがある福島県猪苗代町のホテルリステル猪苗代の創業者、鈴木長治さんの「フリースタイルはわが子のようなもの」という言葉を思い出した。

 リステルでは、フリースタイルの国際大会が数多く開かれ、今では国内の“聖地”として知られている。マイナーだったこの競技を、30年以上をかけて普及と選手養成をバックアップに尽力してきたのが鈴木さんだった。

 1984年にテレビでコブを乗り越え、宙返りを見せるフリースタイルスキーの存在を知り、「これくらいの距離のコースなら、長い滑走面がとれないうちのホテルの裏山にもつくることが出来る」と、当時は国内では珍しいフリースタイル競技ができるスキー場開設を決意。2年後にコブ斜面やジャンプ台を備えたスキー場をオープンさせただけでなく、選手育成のためのチームも立ち上げた。選手の海外遠征費を捻出するため、自らのボーナスを返上していた。

 1988年に日本初のW杯を開催。その後、何度も世界レベルの大会を開催し、日本の聖地と呼ばれるようになり、日本チームも合宿地として猪苗代町を訪れている。

 今回の平昌五輪の男子モーグルに出場した遠藤尚(27)は、鈴木さんがつくったチームリステルの出身者。ホテルリステル猪苗代によると、鈴木さんは相談役を引退したものの、社主として元気にしているという。原の銅メダルなど、フリースタイル勢の活躍の裏には、競技の普及、選手の育成を進めてきた鈴木さんら“先駆者”の存在がある。

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