真相は不明のまま 原節子さん 95歳で死去 独身貫き親族が看取る

[ 2015年11月26日 05:30 ]

元女優の原節子さん(1960年撮影)

 「晩春」「東京物語」など小津安二郎監督の作品をはじめ、戦前戦後を通して日本を代表する女優として活躍した原節子(はら・せつこ、本名会田昌江=あいだ・まさえ)さんが9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去していたことが25日、分かった。95歳。横浜市出身。1962年に引退してから半世紀以上にわたって公の場に姿を見せず、生きながらにして伝説となった銀幕の大スターだった。

 鎌倉市の義兄の実家でひっそりと余生を送っていた原さんが静かに逝った。一緒に生活していたおい(75)によると、原さんは元気だったが、8月中旬、突然せき込むようになった。神奈川県内の病院に入院。親族4人にみとられ、最後は眠るように亡くなった。葬儀は近親者による密葬で行った。原さんの意向で亡くなったことを公表していなかったという。おいは「安らかな最期でした。95歳で大往生でしょう」と話した。

 原さんは、姉の夫である熊谷久虎監督の勧めで35年に日活多摩川撮影所に入社し、15歳で「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビュー。このときの役名がそのまま芸名になった。

 日本映画史を象徴する女優になったのは小津安二郎監督と出会ったことが大きい。小津作品に初めて出演したのは1949年の「晩春」。当時の原さんは西欧的な顔立ちとあふれる気品で、戦後民主主義を象徴する新時代のヒロインを演じることが多かった。だが「晩春」では、父親を敬慕する古風な一人娘の役。小津監督は続く「麦秋」(51年)などでも原さんに貞淑で慎み深い女性を演じさせ、「内面的な深さのある演技」(小津監督)を引き出した。

 「東京物語」(53年)をはじめとする原さんの出演作は、“世界の小津”と称された小津監督にとっても円熟期の作品。2人には結婚の噂もあった。

 原さんは独身を貫いたこともあり“永遠の処女”という肩書で、映画界を代表する女優として君臨。だが62年11月に公開された101本目の出演作、稲垣浩監督「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」で大石内蔵助の妻りくを演じたのを最後に突然引退。翌63年12月12日の還暦の誕生日に小津監督が亡くなり、その通夜に参列してから一切公の場にも姿を見せなかった。

 義兄の実家近くの薬店に買い物に訪れていたというが、そのことが報道陣に知られると、姿を見せなくなった。

 42歳の引退にさまざまな臆測が流れたが、真相は不明のまま。「小津監督に殉じた引退」が一番説得力を持って伝えられた。

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2015年11月26日のニュース