原節子さん 女優志願ではなかった普通のお嬢さんも評価は「伝統的日本女性の理想像」

[ 2015年11月26日 07:12 ]

映画「東京物語」の(左から)笠智衆さん、原節子さん、東山千栄子さん

原節子さん死去

 原さんはモダンと古風を兼備し、戦前から高度経済成長期に差し掛かる時代を象徴し続けた存在だった。

 かつて黒澤明監督が、ごく普通のお嬢さんと評したように、もともと女優志願の人ではない。親族に映画関係者が多く、華やかな美貌を買われ10代で銀幕デビューした。戦中は国策の下、旧満州・朝鮮の国境警備隊長の妻など“銃後の女神”の役を演じてさらに人気を高めた。戦後になると一転、民主主義を高らかにうたった今井正監督の「青い山脈」(49年)で、新しい時代の息吹を伝える教員役などを演じた。

 本人は女優イングリッド・バーグマンを目標としたが、美貌の陰に深い内省をたたえた資質は、やがて超大作よりも「東京物語」など小津監督の端正な作風にはまっていく。いつしか国内外から「伝統的な日本女性の理想像」とみられるようになっていった。

 「めし」「山の音」など成瀬巳喜男監督の一連の作品で、終始うつむいてみせたけん怠期の妻役も忘れ難い。多くの成瀬作品で敢然と宿命にあらがう高峰秀子さんの女性像とは好対照をなした。

 田中絹代さんや岡田茉莉子のように監督、プロデュース業に乗り出すことはなかった。

 ◆原 節子(はら・せつこ)本名会田昌江(あいだ・まさえ)1920年(大9)6月17日、横浜市保土ケ谷区生まれ。2男5女の末っ子。35年にデビュー後、37年公開の日独合作映画「新しき土」(37年)のヒロインに抜てきされて一躍スターに。黒澤明監督の「わが青春に悔なし」(46年)などに出演。木下恵介監督の「お嬢さん乾杯!」(49年)などで毎日映画コンクール女優演技賞を2度受賞。女優時代に住んでいた東京都狛江市の自宅跡地を93年に売却し、長者番付に名前が載って話題になった。

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