談志さん 突っ張った生き方の背景にあったもの「すべて寄席に客呼ぶため」

[ 2011年11月24日 11:38 ]

立川談志さん

 繊細な心を持った暴れん坊―。亡くなった立川談志さんは、才気にあふれた古典落語家として活躍する一方、痛烈で毒のある言葉で落語界や社会に挑み続け、反逆児としての姿勢を終生、貫いた。

 談志さんは「柳家小ゑん」と名乗っていた二つ目時代から、テレビ、ラジオで活躍。20代後半で真打ちに昇進後は将来の落語界を背負っていく人材と期待された。

 ところが「思ったことをすぐ口にする生き方」のせいか脱線もしばしば。テレビ番組の発言で抗議を受け、参院議員になってからも“放言”を連発し「大衆の声を代弁している落語界のために頑張りたい」という願いを果たせないまま、政界から身を引いた。

 復帰した落語界でも真打ち制度などで幹部と対立。落語協会を脱退して立川流を創設し、弟子たちを厳しく指導した。

 突っ張った生き方の背景にあったのは、落語に対する人一倍の愛情。「いろんなことをやっているのはすべて寄席に客を呼ぶためだ」と話し、定期的に「ひとり会」と題した独演会を開き、芸を磨く場を確保した。

 がんを公表したのも「ひとり会」の高座。その後の記者会見でも「おれが死んだら、喜ぶやつがいっぱいいる」と発言するなど、常に言動が注目される落語家だった。

続きを表示

2011年11月24日のニュース