[ 2010年1月25日 06:00 ]

 ところでコンシェルジェによると、歌劇「トスカ」は、実在の場所や建物が舞台になっており、現実と見紛うばかりのリアリティが人気の理由の1つとして挙げられるとのこと。私がその魅力を実感したのは、第3幕、聖アンジェロ城の屋上の場面でした。大きな天使の像がそびえる城壁の中で、カヴァラドッシの処刑が実は“ヤラセ”ではなく本物であり、彼はあえなく絶命してします。死してもなお、2人に過酷な運命を突きつけるスカルピアの陰謀。ついにトスカも身投げをしてしまいます。かつてローマで実際に見た聖アンジェロ城が私の脳裏をよぎって、その記憶の中にカヴァラドッシとトスカがいたような気にさえなってくるのです。つまり、自分が歌劇「トスカ」の世界の中に入ったのではなく、自分が記憶していた映像に、トスカとカヴァラドッシが飛び込んで来たかのような奇妙な体験です。

 新国立劇場の変幻自在ともいえるハイテク装置は、屋上から牢獄へ、牢獄から屋上へと、音楽の中で途切れることなく転換されていきました。それに伴って目の前の物語を読み取る脳と、記憶を呼び起こす脳のスイッチもスムーズに切り替わる。それが、先に述べた不思議な感覚を呼び起こした要因のひとつだと思います。
 コンシェルジェによると、現在、世界各地の歌劇場で「トスカ」が上演される際、読み替え演出が施されることがほとんどだそうです。しかし、アントネッロ・マダウ=ディアツによるこのプロダクションは原作の設定やト書きに忠実な演出であったからこそ、劇場のハイテク舞台装置の絶大なる効果とも相まって私は不思議な感覚を得ることができたのかもしれません。2000年9月のプレミエ以来、3回目の上演にもかかわらず初日を前にチケットがほぼ完売するほどの人気の秘密はこのあたりにあるのではないかと思います。
コンシェルジェは言います。
 「物語の時代や設定を変えるなどの、いわゆる読み替え演出は昨今のオペラ上演においては主流となっています。そうした舞台に接し、演出家の意図やコンセプトをあれこれ考えながら観ることもオペラの楽しみ方のひとつでしょう。しかし、ドイツ語圏を中心にあまりにも突飛な演出や過激な読み替えが当たり前のように行われている中、今回の“トスカ”のように原作に忠実でオーソドックスな舞台作りが、私にはかえって新鮮に映ったのも事実。観客・聴衆の中には、一定の割合で小谷さんと同じく、オペラの鑑賞経験がそんなに豊かでない人がいるのも確かで、作品本来のテイストを伝えるこうしたプロダクションが存在し続けることの意義は大きいと思う。そして何よりも芸術の世界は、ひとつの流れや考え方に淘汰されるような事態は絶対に避けなければいけない。いろいろなものが混在し、それぞれの価値を見出しながら次代へと受け継がれ、発展していくことが大切なのです」。

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2010年1月25日のニュース