清志郎さん急逝1カ月(3)「専門家に対しては驚くほど謙虚」

[ 2009年6月2日 07:38 ]

愛車の「オレンジ号」を駆る忌野清志郎さん(2007年1月7日)

 その音楽同様、自転車にも独特のこだわりがあったという。生涯で4台の自転車を愛用したが、決してつるしの完成車には乗らなかった。すべてをサイズオーダーで1から作った。自転車のメカニックに詳しいフリーライターの藤下雅裕さんを紹介され、「ひざがちょっと痛い」と訴えたことがある。藤下さんからクリート(ペダルとシューズを固定する部品)の位置変更をアドバイスされたところ、その痛みがうそのように消えた。感激した清志郎さんは以降藤下さんをメカニック兼トレーナーとして採用?し、前述のホノルルも同行させたほどだ。

 「とにかく、その道の専門家に対しては驚くど謙虚なんです。態度も言葉づかいも全然違う。フレーム作成のため体のサイズ測定をしたときなんか、本当に感動しまくりで担当の方と対応してましたね」。ステージでの自由奔放な、いや時に過激なあの姿からは考えられないそうだ。
 楽器の達人だった清志郎さんは、自転車でも道具を大切にした。気に入ったパーツを手に入れるだけで満足せず、それを使いこなすことに意義を感じていた。「自転車を持っているだけじゃダメなんだ」が信条。自転車も楽器のように手なずける存在だった。自転車に乗れないときは、地図ばかり見ていた。「次はこの道を走るんだ」…などと考えながら。
 そんな清志郎さんが逝って、もう1カ月。
 「彼は僕にとって若さの象徴だったんです。死という言葉が最も似合わない人間。もっと自転車に乗せてやりたかったし、本人だってもっと乗りたかったんじゃないかなあ…」
 銀輪の友を失った悲しみをつづる宮内さんの追悼記事が載っているサイクルスポーツ6月号は、19日まで発売中だ。

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2009年6月2日のニュース