【虎番リポート】優しい阪神・青柳さんにキュンです 大学生の時に送ったファンレター「覚えてますよ」

[ 2023年2月14日 07:00 ]

阪神・青柳

 胸の高鳴りは最高潮に達していた。阪神の宜野座キャンプ第3クール2日目の10日だった。ついに青柳投手を取材する時がやってきた。

 祖父の影響で幼い頃から生粋の虎党。数年前、テレビで見た唯一無二の変則投法に目を奪われた。そして今から2年半前だ。当時、大学生だった私は青柳投手に初めてファンレターを送った。その時、実は1カ月以上も白星から遠ざかっていた。ファンとして何かできることはないかと考え、エールとともに「いつか青柳選手の記事を書きたい」と自分の夢もつづった。想像もしていなかったが後日、青柳選手からSNSを通じて、返事が返ってきた。「取材される日を待ってます」。その“アンサー”は私の夢、記者として果たしたい仕事になった。

 新米記者として訪れた南国の地で、ついに迎えた対面の日。「覚えてますよ」とガチガチの私の緊張をほぐすように声を掛けてくれた。「記者」になった今、どうしても聞きたいことがあった。エースと呼ばれるまで強くなった理由――。19年は9勝、20年は7勝も、当時目標としていた2桁勝利には届かなかった。一つの失点から始まる負の連鎖。ファン目線ではあるが安打を許すたびにマウンド上で焦っているように見えた。

 当時の心境を聞くと転機があったことを教えてくれた。初出場した19年の球宴。そこで、巨人・菅野投手から助言を授かった。「許していい1点を、自分の中で許してあげたらいいんじゃない?」。何としても無失点で抑えないといけない…その気持ちが無意識のうちに重荷となっていた。「1点を取られても、アウトを取って(最少失点で)帰ればOK」。“許せる失点”が増えたことで、心にゆとりができたそうだ。

 昨年は最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手3冠を獲得。虎の大黒柱にあった分岐点を私は必死にノートに記した。エースと呼ばれるようになってもファン思いな優しい人柄。その理由を聞くと「生まれつき」と豪快に笑った。憧れ続けた背番号17は想像通り強く、優しい人だった。(山手 あかり)

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2023年2月14日のニュース