【内田雅也の追球】先人たちが見つめた女子初の甲子園開催 女子が切りひらく球界の未来

[ 2021年8月24日 08:00 ]

第25回全国高校女子硬式野球選手権大会決勝   神戸弘陵4ー0高知中央 ( 2021年8月23日    甲子園 )

<神戸弘陵・高知中央>始球式を務めた元全国高校女子硬式野球選手権大会審判部長の高橋町子さん(撮影・河野 光希)
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 甲子園で始球式の投手を務めた高橋町子さん(84)はかつてこの全国高校女子野球選手権大会で審判長を務めていた。シャツに「苦節十年~女子硬式野球選手の笑顔のために」と書かれた布を縫い付けていた。

 「女子硬式野球の父」と呼ばれた四津浩平さん(故人)が残した文章である。グラウンド横で遺影が見つめていた。

 四津さんは全国の高校に働きかけ、1997年、第1回大会の開催にこぎ着けた。大会運営費や参加校の滞在費に相当額の私財を投じた。

 文章は2004年10月に他界する前、大会が10年目を迎えた喜びと今後への期待が記されている。「いつか大会が甲子園で開かれたらいいね」と話していたそうだ。

 高橋さんは戦後、女子実業団野球で活躍。多くの女子大会で審判を務めてきた。四津さんの遺志を継ぎ「思いを背負って投げました」というボールはノーバウンドで捕手のミットにおさまった。

 日本高校野球連盟の幹部は「天国で竹中先生が喜んで見てますよ」と空を見上げた。前高野連事務局長の竹中雅彦さんは女子高校野球の甲子園開催を望み、尽力していた。実現を夢見ながら19年10月に他界した。

 多くの先人たちが見つめた歴史的な一戦だった。吹く浜風に、労苦の汗と涙がよみがえった。

 優勝した神戸弘陵・石原康司監督(61)は男子を甲子園に導いた名将だが、14年春、女子の監督就任時は「どうすればいいのか」と悩んだ。親交のあった済美・上甲正典監督が「すばらしいよ」と励ましてくれた。「女子選手が母親になった時、子どもに何をさせる? 野球離れが進む球界のためになるじゃないか」。その秋、上甲さんは天国に旅立った。

 日本野球機構(NPB)も野球振興策の柱に女子の普及を掲げる。女子の大会を開催し、野球型授業の普及で小中学校女性教諭を指導して回る。

 優勝投手の神戸弘陵・島野愛友利さん(3年)は「大きな一歩を踏み出せた。これからも甲子園が女子の目標であってほしい」と言った。

 甲子園で見た女子の汗と涙は男子のそれと変わらなかった。開いた歴史の扉の向こうに野球界の明るい未来があると信じたい。 (編集委員)

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