【内田雅也の追球】見えた阪神・矢野監督の“攻撃的”采配 及川の85年式リベンジ起用と外野前進守備

[ 2021年7月1日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-2ヤクルト ( 2021年6月30日    甲子園 )

<神・ヤ>7回のピンチに登板した及川(撮影・大森 寛明)
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 阪神が日本一となった1985(昭和60)年、今も語り草となっている攻撃的な用兵がある。

 5月20日の巨人戦(後楽園)。1点リードの7回裏2死一塁で原辰徳(現監督)を迎えた。監督・吉田義男はタイムをかけ、マウンドに歩んだ。福間納は交代かと思ったそうだ。前日、延長10回裏、原にサヨナラ2ランを浴びていた。

 「どうや、勝負するか?」と吉田が聞くと、福間はためらわず「勝負します」と答えた。福間は原を右飛に打ち取った。

 <代える気持ちは全くなかった>と吉田は後に著書『海を渡った牛若丸』(ベースボール・マガジン社)に記している。<気持ちが前向きかどうかを確かめに行っただけだ。もし、あの場面で福間をマウンドから追いやっていれば、彼はずっと原から逃げなくてはならなかっただろう>。

 この夜の甲子園。今や伝説的と言える場面を思い出した。1―1同点の7回表1死二塁となり、監督・矢野燿大は先発ラウル・アルカンタラに代え、2年目の及川雅貴をマウンドに送った。

 前回登板の26日DeNA戦(甲子園)で1―0リードの同じ7回表に登板。逆転決勝2ランを浴び、プロ初黒星を喫していた。

 及川は期待に応え、青木宣親を三振、山田哲人を右飛に切って失点を許さなかった。前回登板のリベンジを果たしたわけだ。かつての福間のように意気に感じたことだろう。誰もが失敗を糧に成長する。20歳の若き左腕はなおさらだ。

 もう一つ。8回表2死二塁の守りで、外野陣が敷いた前進守備もまた、攻撃的だった。結果は右翼後方への飛球が二塁打となり勝ち越し点献上となった。裏目と出たが、単打で失点を許さない強い意志は見えた。

 右翼手・佐藤輝明は捕れたとの指摘もあろう。これも糧にすればいい。ただ、いつもと反対に右翼に向けての雨風が吹いており、後方飛球は難しかった。この裏、ジェフリー・マルテ同点弾の打席で、後方への一邪飛を相手一塁手も捕り逃がしていた。

 吉田は当時、福間起用に「勝負に弱気は禁物」と手帳に記した。

 また、一時3位に転落した8月下旬の長期ロード終盤、コーチ陣に3つのポイントの再確認を指示している。先の著書にある。

 (1)全員の気持ちが一つになっているか。
 (2)攻めまくる気持ちを失っていないか。
 (3)引く(消極的な)守りになっていないか。

 吉田は常々「守っていても攻めろ」と話していた。もちろん、むやみに前を守ることが攻撃的とするのではない。後ろより安打の確率が高い前の打球を阻もう、または単打での本塁突入走者を刺そうとする外野手の前進守備は積極的だと評価したい。結果については、また検証も反省もすればいい。

 とにかく、吉田が再確認した3ポイントは、口癖だった「一丸」「挑戦」である。この姿勢を貫き、実を結んでの優勝だった。

 この夜、矢野の用兵、采配に見えた攻撃的な姿勢は優勝への必要な要素だとみている。ひるまず、貫くことである。 =敬称略= (編集委員)

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