【内田雅也が行く 猛虎の地】江夏トレード通告5日前の笑顔 涙でタテジマと青春に別れ

[ 2020年12月4日 11:00 ]

(4)武庫川河川敷

武庫川河川敷を女子高校生と走る阪神・江夏を報じた1976年1月15日付の本紙。トレード通告5日前だった。
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 江夏豊が女子高校生と一緒に笑顔でランニングしている。珍しい写真が本紙1面を飾ったのは1976(昭和51)年1月15日付だった。

 当時、プロ野球選手1月恒例だった「始動」の光景である。オフシーズンの間、休んでいた選手が自主トレを始めるのが始動である。オフも休まなくなった今では、この恒例行事もなくなった。

 武庫川は江夏が暮らしていた西宮市若草町の自宅マンションから徒歩5分。土手で体操をし、河川敷を走った。同じくランニングしていた鳴尾高の女子生徒と出くわし、並んで走った。国道2号線、アーチが連なる形の武庫大橋が見える。

 当時、江夏27歳。阪神でプロ10年目を迎えようとしていた。前年からトレードのうわさがたえなかった。日本ハム・大杉勝男や南海(現ソフトバンク)・江本孟紀らが交換要員にあがっていた。

 前年12月26日の契約更改交渉では金銭面の話は一切なかった。移籍話の真偽を問う江夏に球団社長・長田睦夫は「私の中にトレード構想はない」と繰り返した。

 後に江夏が明かしたところによると、球団は放出を否定する一方で常務・鈴木一男が「他球団への呼びかけはするな」と命じ、水面下でのトレード交渉を進めていた。

 始動で汗を流せば、少しは心も晴れた。「阪神を愛している。入団当初は何にも考えず打倒ONだけ考えてやっていた。あの頃が懐かしい。もう一度あの気持ちに戻りたい」。初心に帰っての再出発を誓った。

 トレード通告は5日後、19日だった。大阪・梅田の球団事務所に呼ばれた。長田は「江夏がチームに溶け込もうとする姿勢が見られなかった。江夏にもチームにもためになる」と言った。移籍先は明らかにしなかった。

 「応じるかどうか考えたい」と引退までよぎった江夏だが、後日、移籍先となる南海の監督兼捕手・野村克也と会い、移籍を了承する。野村は前年10月1日の広島戦(甲子園)で衣笠祥雄にフルカウントからわざとボール球を投げ、空振りにとった投球術を見抜き、指摘した。江夏の心に驚きと喜びがわき上がった。

 ただ、26日の会見では「阪神は何も知らない僕を育ててくれた……感謝している」と目を充血させ、涙声になった。

 江夏から「阪神時代こそ青春だった」と聞いたのを思い出した。青春時代に別れを告げ、新天地に向かったのだった。

 あの武庫川で浮かべたのは阪神で最後の笑顔だった。いま、河川敷では休日、多くの少年野球チームが練習をしている。少年たちは武庫大橋を「メガネ橋」と愛称で呼んでいた。 =敬称略= (編集委員)

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