【内田雅也の追球】「恐怖」乗り越え「明日」へ――阪神・矢野監督

[ 2020年7月21日 08:00 ]

米大リーグ、タイガースの監督時代のスパーキー・アンダーソン氏(AP)
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 開幕の連敗からチームは不振に陥り、借金は8を数えていた。その日も逆転負けを喫し、翌日は試合がなかった。

 <一日中、家に閉じこもっていた。何をする気にもなれず、悪い流れをどうしたらせき止められるか、ひたすら考えていた。難問だった>。

 まるで今季の阪神監督・矢野燿大の胸の内を明かすような文章である。

 これは大リーグで史上初めてア・ナ両リーグで優勝監督となった名将、スパーキー・アンダーソンの自伝『スパーキー!』(NTT出版)の冒頭部分の一節だ。

 1989年、デトロイト・タイガース監督として「過労」「精神的な消耗」で休養に入る直前の心境を書いている。この5月17日時点で13勝24敗、ア・リーグ東地区最下位だった。試合のなかった18日、心身ともにおかしくなってしまった。<身体から皮膚がはがれていくように感じ、骨がばらばらと砕けて床に散らばるのではないかという恐怖さえ覚えた>。

 同じような<恐怖>を矢野は味わっていたのである。今月18日にリモート出演した関西テレビの『こやぶるSPORTS』で開幕後2勝10敗、借金8と沈んだ当時の心境を打ち明けた。臨時投手コーチも務めた山本昌(評論家)の質問に答え、明かした。現役の監督が苦しい胸の内を吐露するのは、少なからず衝撃的だった。

 「苦しいどころじゃなかった。結果が出ないから悩んでいた。正直、試合が怖かった」

 怖いのである。長いシーズン、ほぼ毎日試合がある。負けても負けても次の試合が待っている。勝敗の責任を負う監督は恐怖に襲われるのだ。

 矢野もどん底借金8の翌日だった7月3日、名古屋から移動した広島での試合が雨で流れた。スパーキーは休養したが、矢野はあの雨の翌日に勝てて「ムードが変わった」という。この後10勝2敗と盛り返し、いま5割にいるわけだ。

 ただし、いつまた勝てなくなるか、という恐怖は残る。プロ野球の監督とは何とも過酷な仕事である。

 こんな時、スパーキーが休養した17日間で得た境地が参考になるのではないだろうか。先の著書の副題は『敗者からの復活』である。

 監督のやるべきことは<チームの能力をすべて発揮できるような状態にもっていくことだ>。そして<試合の結果まで左右することはできない。できるのは、ただチームの状態を整えて、あとはなりゆきに任せる>。

 そうすると、負けた試合の後も<必ず「明日があるさ」と思うようになった>という。<いや正確に言えば「明日が来てくれれば」と思うのだ。ここには大きな違いがある。わたしは明日が来ることを望むようになっていた>。

 感謝に眠り、希望に起きる。そうありたいものだ。今ではもう古典の部類に属するアル・カンパニスの『ドジャースの戦法』(1957年発行=ベースボール・マガジン社)には、監督の仕事を端的に<選手たちにベストを尽くさせる>と書いている。それさえできていれば、敗戦は一つも恥じることではなく、そこまで自分を追い込む必要もない。

 矢野が監督就任以来、繰り返し選手に訴えてきた打撃後の力走、つまり「凡打疾走」も浸透している。こんな姿勢からベストを尽くす心は広がっていくものだ。やり方は間違っていないと自分を信じてほしい。

 矢野は<恐怖>を乗り越えられただろうか。一時期案じたベンチでの顔色もずいぶんとよくなった。ベストを尽くし、勝っても負けても、明日に希望を抱く日々でありたいと願っている。=敬称略=(編集委員)

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2020年7月21日のニュース