史上唯一、投手によるプロ初安打がサヨナラ弾――巨人・木田の長打力、実は桑田以上

[ 2020年4月21日 07:00 ]

90年4月8日<巨・ヤ>延長12回にサヨナラ本塁打を放つ巨人・木田
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 【忘れられない1ページ~取材ノートから~】プロ野球史上唯一の本塁打は必然の一打だった。1990年4月8日の巨人―ヤクルト戦の延長12回、巨人・木田優夫投手(当時21=現日本ハム投手コーチ)が放ったサヨナラ本塁打はただの投手の本塁打ではない。実はこれがプロ初安打。長いプロ野球史で、投手によるプロ初安打がサヨナラ本塁打はこの一発だけ。代打が送られるのが当然の状況で打席に立ち、生まれた30年前の快弾を振り返る。(秋村 誠人)

 あれから30年たっても忘れない。90年の開幕第2戦で、木田が放った劇的なサヨナラ弾。ただ、今もそれが史上唯一の本塁打として記録に残るとは思いもしなかった。

 「延長12回で先頭打者だった。当然代打だと思ってベンチに座ってたらコーチが“何やってんだ。早く打席へ行け”と」。木田はそう回想する。

 8回からリリーフでマウンドに立ち、5イニングを無失点に抑えてベンチに戻った。4者連続を含む7奪三振。完璧に役目を果たして「ここは代打」と考えるのも無理はない。2―2の12回だ。コーチの言葉に驚いて打席に向かい、プロ野球史に残る本塁打は生まれた。

 マウンドにはヤクルトのベテラン金沢次男。追い込まれてから「三振するのは嫌だった。スライダーかフォークだと思って当てにいこうとした」。ところが来たのは直球。「それをスッと振り抜いた」という。左翼へ飛んだ低い打球。外野の頭は越えると思い、全力で走ったら「あれ?おかしいぞ」と。そして二塁ベースの手前で審判から「ホームランだよ」と知らされた。

 何年もたってから聞いたが、実は木田にとってこれがプロ12打席目の初安打。それがサヨナラ本塁打となった。長いプロ野球史で、投手のプロ初安打がサヨナラ本塁打だったのはこの一本しかない。あの回。なぜ打席に立ったのか。後年、木田は関係者からこんな話を聞いたそうだ。コーチから代打の起用を進言された藤田元司監督が「今日の木田の打撃練習を見ていたのか!」と言って、そのまま打たせたのだという。

 当時の巨人投手陣には桑田真澄、斎藤雅樹、水野雄仁、宮本和知ら打力のある投手がそろっていた。その中で木田は「飛距離なら負けてなかった」と振り返る。日大明誠時代はエース兼4番。当時の福島光敏監督から打撃の基礎を教えられて「個人練習でかなり振り込んだ」。桑田らの陰で秘めていたその長打力を、藤田監督が普段の投手陣の打撃練習からしっかり見ていた結果だった。

 このサヨナラ本塁打で、ヤクルトは開幕戦から2試合連続延長サヨナラ負け。試合後のこと。野村克也監督が捕手の秦真司に「いったい、何を投げさせたんだ!」と怒鳴っていたのを覚えている。「詰まらせようと思った」という秦の要求は内角の直球。それが少し中寄りに入り、痛恨の一発を浴びた。この試合もあって、次の巨人3回戦(4月28日)で新人だった古田敦也が秦に代わってスタメンマスク。古田はこれを機に正捕手の座をつかみ、名捕手への階段を一気に駆け上がった。

 木田のプロ通算本塁打は3本。あと2本はヤクルト・吉井理人、広島・山内泰幸から。広島市民球場で山内からの一発は右翼へ放ったもので「詰まったと思ったら入った」という。ここでも長打力を証明したが、1本目は特別だった。

 巨人では堀内恒夫以来22年ぶりの投手のサヨナラ本塁打。「高校時代は山梨県で“堀内2世”(堀内氏は甲府商出身)と言われてたので、現役時代に何か一つでも堀内さん以来の記録を残せてよかった」

 木田はそう笑って30年前の“快弾”を懐かしんだ。

 ≪本職では5回0封好救援≫開幕戦に続き、延長戦に突入したヤクルトとの第2戦。8回からマウンドに上がっていた木田が、「ボールが振ったところに来ちゃったんです」と話した「奇跡の一発」だった。メイン記事の冒頭では、桑田、原の離脱と大きな不安要素を抱えていたという巨人だが、本業のピッチングでも5回7奪三振に「投げてよし、打ってびっくりの救世主ぶり」と記述した。球団初の開幕2試合連続サヨナラ勝ち。この勝利で、巨人は前年の89年5月から延長戦11連勝。高卒4年目の活躍に、当時の藤田監督は「裏を返せば危ない場面と背中合わせってことだけど、でも勝った方がいいからね」と声もはずんだ。

 ≪“記録”に残る劇弾の前に“記憶”に残る誤審アーチ≫90年の巨人―ヤクルトの開幕2連戦は、巨人・木田の劇的アーチのほかにも記憶に残るシーンがあった。4月7日の開幕戦の8回、巨人・篠塚和典が放った打球は右翼ポール際へ。判定は本塁打で同点2ランとなったが、テレビのVTRを見ると、打球はポールの外側(ファウルゾーン)を通過していた。この年からセ・リーグは審判4人制が導入され、判定したのは一塁塁審の大里晴信審判員。現在のリプレー検証もない時代で、ヤクルト・野村監督の猛抗議も認められなかった。試合は延長14回にサヨナラ押し出し四球で巨人が勝利。この開幕連勝で勢いづいた巨人は2位・広島に22ゲーム差の独走Vだった。

 ○…プロ初安打がサヨナラ本塁打の離れ業は08年の加治前(巨)まで史上3人だけ。初めてマークしたのは80年のデュプリー(広)で、90年に木田(巨)が史上2人目で、投手初の快挙を達成した。また、投手のサヨナラ本塁打も過去18人(19度)しかいない記録。90年に木田と佐々岡(広=現監督)が打ったのが最後となっており、翌年から昨季まで29年もの間、達成者がいない。

 ○…木田は独立リーグ(BCリーグ・石川)を含め日米28年間の現役生活で、キャリアハイの成績を残したのが90年だった。自らサヨナラ弾を放った開幕第2戦が同年の1勝目。桑田、斎藤、槙原らの強力投手陣の中で17試合に先発して13完投しただけでなく、中継ぎ、抑えでもフル回転。リリーフ登板してから中2日で完投勝利を挙げるなど、自己最多の12勝をマーク。150キロ超の直球を武器に、最多奪三振(182個)にも輝いている。

 ◆秋村 誠人(あきむら・しげひと)1962年(昭37)生まれ、東京都出身の58歳。立大では野球部で85年スポニチ入社。プロ野球、アマ野球を担当。現在は専門委員。

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