思い出す99年の熱狂…福岡の夢を乗せた井口の打球

[ 2017年9月5日 10:40 ]

1999年9月25日、日本ハム戦の8回1死、決勝ホームランを打ったダイエーの井口
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 空の彼方へ

 夢を乗せて

 飛んでいくボール

 打てよ 資仁

 懐かしいメロディーに乗せられ思わず、口ずさんだ。8月27日のロッテ戦(ヤフオクドーム)は9・24の引退試合に向けて、井口が出場選手登録を抹消される前の最後の試合だった。セレモニーではダイエーでの応援歌が流れ、背番号7の名場面が浮かんできた。

 翌28日の紙面で多く触れられた97年5月3日のデビュー戦(対近鉄)での満塁弾は確かに鮮烈だった。ただ、個人的に思うのは別のシーンだ。99年9月25日の日本ハム戦。デーゲームで西武が敗れ、マジック1で臨んだ試合は同点の8回1死、右翼へ決勝の14号ソロを放った。89年ダイエー福岡移転以来11年目の歓喜は、79年にクラウンライターが去った福岡が20年ぶりに「野球」で一体となり、沸いた夜でもあった。

 ドームに空はない。ただ、間違いなく福岡のファンの夢を乗せた井口の打球だった。当時、入社3年目。西鉄福岡駅で行われていたパブリック・ビューイングを取材し、歓楽街・中洲にかかる「福博であい橋」での飛び込み取材を掛け持ちした。優勝から3日間、飲食を無料にするなど豪快すぎる居酒屋、ラーメン店にも行った。ともうけなど度外視の空間がそこにあった。

 常勝軍団になった。今季も2位・西武に12ゲーム差をつけた独走劇など、優勝争いは日常茶飯事。ヤフオクドームには連日、満員御礼。野球は再び、福岡の一部になった。ただ、あの99年の熱狂は感じなくなった。苦難の時期を越え、つかんだ頂点だからこその熱量だったように思う。また、災いが降りかかるのはまっぴらゴメンだが、井口の応援歌を耳にし、あの頃が少し、なつかしく思えた。 (記者コラム・福浦 健太郎)

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2017年9月5日のニュース