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清宮幸太郎はどうする?「世界の王」を生んだ59年前の東京大会決勝戦

早実時代の王貞治氏
Photo By 提供写真

 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】大学進学かプロ入りか、早実のスラッガー・清宮幸太郎の高校最後の夏が終わった。

 東海大菅生に2―6で敗れた7月30日の西東京大会決勝戦。高校通算最多となる108号本塁打は不発に終わり、一塁手としてまずい守備もあった。

 三塁手からのツーバウンド送球を後ろにそらし、一、二塁間のゴロを処理した際には一塁ベースカバーに入った投手に悪送球。ことごとく失点に結びついた。

 大学進学か、プロか。いずれの場合も日米両方に可能性があり、選択肢は全部で4つある。その進路決定にこの夏の結果はどう影響するのだろうか。

 59年前。早実の主将でエース、王貞治(現ソフトバンク球団会長)は、東京大会決勝での敗戦がプロ入り決断の決定打になる。

 1958年、甲子園切符を懸けて戦った相手は明治だった。先攻の早実は1―1で迎えた延長12回、3番・王の右翼線適時二塁打などで一挙4点を勝ち越した。

 王は「勝てた」と思った。当然である。ところが、その裏1死から味方の拙守もあって満塁とされ、押し出し四球で1点。初回から投げてきた王はここで控え投手にマウンドを譲り、ライトに回った。

 しかし、明治に傾いた流れは食い止められなかった。走者一掃の中越え三塁打で同点。王は再びマウンドに戻ったが、続く打者に左中間を破られて万事休す。

 まさかの逆転サヨナラ負けで、1年夏から4季連続出場していた甲子園を逃したのだ。

 「“明日なき戦い”はもう嫌になった」

 王はこれでプロ入りを決断する。大学に進んでいたら通算868本塁打は生まれなかった。

 そもそもは大学に進んで早慶戦に投げたいと思っていた。早稲田だけでなく、10歳上の兄・鉄城が卒業した慶応からも誘われていた。

 プロを考えるようになったのは2年生秋の静岡国体。早実が選ばれながら、王は国籍が「中国」という理由で出場できなかった。国籍の関係ない実力の世界に気持ちが動いたのだ。

 ダメを押す形の延長逆転サヨナラ負け。大学は春秋のリーグ戦で、負けたら即終了のトーナメントとは違うが、プロなら長丁場のペナントレースをじっくり戦える。

 プロ入りを決めた王に一番熱心だったのは阪神だった。佐川直行スカウトが両親が営む中華料理店「五十番」に日参。8月22日付のある新聞に「王 阪神濃厚」と報じられた。

 早大進学だと思い込んでいた巨人は慌てて大攻勢を懸ける。8月26日、東京都墨田区業平橋の自宅に品川主計球団社長と宇野庄治代表が訪問した。

 球団首脳直々の訪問を受けた王にとって、巨人は子供の頃から憧れの球団。巨人に入れるならそれに越したことはない。

 さらに中日からの入団要請を受けた上で親族会議を開催。父・仕福は最後まで阪神・佐川スカウトへの義理を気にしていたが、巨人入りを決めたのである。

 ちなみに契約金は当時としては破格の1800万円。さらに高騰を続けた契約金を抑えるためにドラフト制度が導入されたのは1965年、王が巨人入りを決めてから7年後のことだった。

 1985年ドラフトでは、早大進学を打ち出していたPL学園の桑田真澄を王が監督を務めていた巨人が1位指名。巨人を熱望していた清原和博を泣かせ、早大進学を隠れみのにした「密約説」も飛び交った。

 だが、現在は「プロ志望届」を提出した高校生しかドラフトで指名できないことになっている。

 今春センバツ時のアンケートでは、将来の夢を「メジャーリーグで本塁打王」と書いた清宮。夢の実現に向けてどの道へ進むか。

 「プロ志望届」を提出しない場合は、系列の早大進学以外に米国に留学する可能性がある。

 提出した場合はNPBだけでなく、いきなりMLB球団と契約し、マイナーリーグからスタートするという選択肢もある。 (特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。野球記者歴36年。1980年代は主に巨人と西武を担当した。

[ 2017年8月6日 10:30 ]

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