【決断】広島・広瀬 代名詞「レーザービーム」が引導 右腕に“電気”が…

[ 2016年12月7日 10:40 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=広島・広瀬純外野手(37)

自身の代名詞である「レーザービーム」が引退のきっかけになった広瀬
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 広島・広瀬は自身の代名詞だった「レーザービーム」によって引退の時を察知した。8月20日のウエスタン・リーグ、中日戦(由宇)だった。左翼からバックホームしようと球を放った瞬間だった。

 右肩から指の先までに電気のようなものが走り、程なくして激痛と肩が抜けそうな感覚が訪れた。

 「プレーをできる痛みと、そうでない痛みの違いは分かる。投げられなくなったら、このチームにはいられない。(1軍に)上がれるチャンスを逃してしまった」

 7月に1軍の練習に合流し昇格への手応えをつかんでいた。しかし、以後は今季唯一の1軍となった10月1日、ヤクルト戦(マツダ)での引退試合まで守備に就くことはなかった。首のヘルニアなど、故障と闘い続けた16年間のプロ野球生活。13年には今も日本記録として輝く15打席連続出塁を達成したが、一番のセールスポイントは「速く正確に」がモットーの強肩だった。10年にはリーグトップ10補殺をマークし、ゴールデングラブ賞を獲得した男が、自身の存在意義を失った。

 細かな故障が重なり、昨季は初めて1軍出場なしに終わった。このときも胸中は揺れた。契約更改直前、法大時代の監督で、今年野球殿堂入りした山中正竹氏に「引退しようか悩んでいます」と相談。だが、山中氏から返ってきた言葉は「球団からの(契約更新の)要請を受け入れなさい」だった。恩師の言葉を受け、「もう1年やって1軍にいられなければ、けじめをつけよう」と気持ちを改めていた。

 現役最後の2年間は終始2軍で過ごしたが、どんなときも親身に支えてくれたスタッフには謝意を示す。「トレーナー、監督、コーチにはいろいろな配慮をしてもらった。感謝の気持ちでいっぱい」。今後は広島の放送局で解説者として野球に携わる。「選手に近い目線から、しっかり伝えていきたい」。2軍で流した汗を糧とし、視聴者の胸に響く言葉のレーザービームを投げ込んでいく。 (柳澤 元紀)

 ◆広瀬 純(ひろせ・じゅん)1979年(昭54)3月29日、大分県生まれの37歳。佐伯鶴城から法大に進み、4年時に日本代表としてシドニー五輪出場。00年のドラフト2位で広島入団。10年に外野手でゴールデングラブ賞。13年4月には15打席連続出塁のプロ野球記録を樹立した。1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

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