東大野球部初!喜入捕手 民放キー局アナ内定「いつか宮台の実況を」

[ 2016年12月7日 08:30 ]

女房役としてエースの宮台(左)を支え続た東大・喜入
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 東大野球部から史上初の民放キー局アナウンサーが誕生する。今春の東京六大学リーグで、12年ぶりにシーズン3勝をマークしたチームの扇の要を務めた喜入友浩捕手(4年)がTBSに内定。94連敗の苦難の時期を乗り越え、今年はエース左腕で来秋ドラフト候補の宮台康平投手(3年)を頭脳的なインサイドワークでリードした。東大の野球部で経験したことを生かし、新たなステージに挑戦する心境に迫ってみた。 (松井 いつき)

 銀行員、商社マン、弁護士、公務員――。東大卒業というと、勝手にお堅い仕事に就くイメージを持つが、喜入は、来春からアナウンサーとして華やかな世界で新社会人の第一歩を踏み出す。「“この番組は喜入に話してほしい”と思ってもらえるようなアナウンサーになりたい。出だしでつまずかないようにと思うと、ちょっと緊張しています」

 東大野球部OBでは、現役時代に通算8勝を挙げた大越健介氏(55)がNHKに入局し、政治記者として活躍後、ニュース番組のキャスターに抜てきされたことがあるが、民放キー局でアナウンサー採用されたのは喜入が初めてとなる。

 プロ入りを夢見て東大に入学。卒業後は社会人野球でプレーを続行することを希望したがかなわなかった。「野球がしたくて勉強も頑張った。人生のモチベーションだった野球に関われる仕事は何だろう」と考えたとき、「パッと思い浮かんだのが、実況や中継だった」と振り返る。

 東大に入学し上京する様子を情報番組で密着された。これが原点だ。テレビ局でオンエアを見学し、アナウンサーが感情を込めて話している姿に、「テレビってそんな冷たい世界じゃないんだな」と感じた。大学ではリーグワーストの94連敗も経験したが、この苦しみも、実はアナウンサーを志すきっかけになった。捕手として配球を学ぶために全試合の動画を見ていた。「94連敗中、1本でもヒットが出たり、点差があってもファインプレーを実況してくれて、凄く励みになった。実況は見る人のためだけじゃなく、選手のためにもなるんだと思った」

 3年秋にリーグ戦を戦いながらの就職活動。受験したのは2社だけ、活動期間はわずか2カ月だったが「僕よりハイスペックな人や野球の実績が凄い人はたくさんいる。野球自慢してもアナウンサーにつながるわけじゃない」と東大野球部の肩書に頼らなかった。面接では「話す力に自信がある。その力がないと思ったら落としてください」と言って勝負を懸けた。スーツのポケットにトランプを仕込んで趣味の手品も披露。「倍率も高かったし内定が出た時は素直にうれしかった。アナウンサーになれなくてもこの会社に入りたいと思えた。野球以外の面も見てくれた。そんな人たちに選んでもらえてうれしかった」。全てをさらけ出して内定をもぎ取った。

 東京六大学からは今秋のドラフトでたくさんの選手が指名された。1年後輩の左腕エース・宮台も来秋ドラフト候補として注目される。「(中日からドラフト1位で指名された)柳とか、宮台とかプロ入りしたら、いつか実況してみたい。もう文武両道とはさよなら。人間力で勝負して“東大の捕手”ではなく“TBSの喜入”と言われるように頑張りたい」。ミットをマイクに持ち替え、新たな夢を追いかける。

 ◆喜入 友浩(きいれ・ともひろ)1993年(平5)8月27日、米国生まれの23歳。4歳で帰国し、小2から福岡・鳥飼ローリングスで野球を始め、福岡教大福岡中では福岡中央シニアに所属。修猷館では2年秋から正捕手。3年夏は福岡大会3回戦敗退。1年浪人を経て、東大理科1類(教育学部)に進学。1年秋からベンチ入りし、2年秋からレギュラー。リーグ戦通算64試合で202打数40安打、打率.198、1本塁打。1メートル79、77キロ。右投げ右打ち。

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