阪神ドラ1高山の野球哲学 武骨コメントに込められた「チーム優先」の姿勢

[ 2015年12月9日 11:40 ]

7日に行われた阪神新入団選手発表会見で背番号9を披露する高山

 阪神から1位指名を受けた高山俊外野手(明大)が面白い。この面白いというのは、言動がユニークという意味ではない。新人たちが報道陣のリクエストに応えて「新人王を獲りたい」とか大きな目標を口にするケースが多い中、高山は常に言葉を選び、淡々と記者の質問に答える。逆に言えば派手な見出しの立たない担当記者泣かせの選手ということになるが、コメントをじっくり読むと高山のブレない姿勢が見えてくる。

 7日に行われた入団発表会見。背番号は退団したマートンがつけていた「9」。高山は明大の先輩である高田繁氏(DeNA・GM)の持つ東京六大学の安打記録127を48年ぶりに4本更新する新記録を樹立。マートンも2010年に当時のプロ野球記録214安打をマークしており、記者たちは“安打記録”つながりのコメントを期待したが、高山から出た言葉は「よく背番号に負けないようにというけど、その背番号に追いつくというよりは、自分らしく一生懸命やって9番が僕の数字となればうれしいです」というものだった。

 ある意味痛快である。マートン選手に負けないようにとか、マートンの安打記録を狙いたいとは決して言わない。それも質問した記者をしっかり見て話す。秋季リーグ戦では128安打の記録を作ったときもオーバーに喜ぶことはなく、最優先はチームの勝利だった。

 そして高山の真骨頂を表す談話がある。目指すところは?と聞かれて高山は迷うことなくこう言った。「監督にこうなってほしいという選手になることが、選手としての使命だと思います。ドラフトのときに、長距離砲を目指してほしいと言っていただいたので、そこを目指してやっていきたい」。

 日大三時代、畔上(法大前主将)横尾(慶大前主将)とクリーンアップを形成、5番打者として決勝戦でも豪快な本塁打を放ち全国制覇に貢献。その長打力は高い評価を得ていた。しかし明大では1年生から出場しながら通算本塁打は8本。彼の素質から見れば物足りない数字と思い、高山に「ちょっと少なくない?」と聞いたことがある。すると意外な答えが返ってきた。「高校のときは5番でしたから、当然チームの要求は長打だったんです。だからそういう打撃をしてきました。明治では1番、2番、3番が主でした。僕の役目というかチームに貢献するのは塁に出ること。それを考えてやってきました」。

 スタンドからは私と同じように長打を狙うというより、ヒットを打つため当てに行く打撃を物足りないとする声があった。しかし、そこまで考えて打席に立っていたとは思わなかった。確かに明大ではスタメン95試合中、5番は1試合のみ。3番が50試合、2番が26試合、1番が14試合と1~3番が中心で、4年の秋季リーグ戦は9試合中8試合が2番を任された。塁に出て少しでも4、5番にチャンスを回す。高山の“野球哲学”に触れた感じがした。

 こんなシーンもあった。8月下旬、明大グラウンドで高校生のセレクションが行われた。室内練習場は高校生が独占。部員は休みなのだが、高山だけはバットを手に合宿所の周囲を散歩。時折スイングしては、またブラブラ。バットを片時も離さずフォームをチェックする。遠くからその姿を見ていると“求道者”という言葉が思い浮かんだ。常に野球。常に打撃。強制されなくても自分のやるべきことがわかっている。これは野球人として最大の資質でもある。

 金本新監督から長距離砲を目指せ!の目標設定をもらった。高山は大学時代とは違う、どちらかといえば高校時代のフルスイングに戻ってチームの要求に応えようとするだろう。甲子園には左打者には不利とされる右から左に吹く浜風が待っている。「逆に闘志が沸いていいじゃないですか」と発奮材料に変える。骨折した手首は2月のキャンプ時には回復している予定だ。大きなことも、具体的な数字も挙げない。こんな武骨な男だが、頼もしく見えたのは私だけだろうか。(特別編集委員 落合 紳哉)

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2015年12月9日のニュース