沢村、景浦…戦死した主なプロ野球選手

[ 2015年8月4日 10:29 ]

 戦火に散った野球選手の霊を慰めるために建立された「鎮魂の碑」が、東京・文京区の東京ドームの敷地内にある。

≪戦死した主なプロ野球選手≫

 ▼沢村栄治 京都商で3度甲子園に出場。中退して全日本チームに入り、34年11月20日の日米野球ではベーブ・ルースらを相手に1失点完投。巨人に入団した36年秋に史上初のノーヒットノーランを達成。37年春には24勝、防御率0・81で最多勝、MVPなどに選ばれる。3度応召され、44年12月に台湾沖で戦死。享年27。59年殿堂入り。

 ▼景浦将 立大を中退し、36年に阪神入団。投打の中心として活躍した。主なタイトルは首位打者、打点王、最優秀防御率、最高勝率。「闘将」の異名をとり、水島新司の漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルになった。45年5月にフィリピンで戦死。享年29。65年殿堂入り。

 ▼吉原正喜 熊本工では川上哲治とバッテリーを組み、甲子園で2度の準優勝。38年に川上とともに巨人に入団し、正捕手として活躍。背番号27はその後、伊東勤、古田敦也、谷繁元信ら名捕手の定番の番号となっている。44年10月にインパール作戦で戦死。享年25。78年殿堂入り。

 ▼西村幸生 関大では主将兼エースとして活躍。37年に巨人・沢村との対戦を望んで大阪タイガースに入団した。37年秋に15勝3敗、防御率1・48で最多勝、最優秀防御率の2冠。45年4月にフィリピンで戦死。享年34。77年殿堂入り。

 ▼中河美芳 関大を中退し37年にイーグルス入団。一塁手で4番、投手としても活躍した。38年秋に防御率1・98で3位。翌39年には打率・282でリーグ8位となった。一塁守備の名手としても知られ「タコの中河」と呼ばれた。44年7月にルソン島沖で戦死。享年24。86年殿堂入り。

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2015年8月4日のニュース