亜大 戦後初6連覇 延長10回けいれんも山崎号泣完投

[ 2014年5月30日 05:30 ]

<国学院大・亜大>ウイニングボールを手に胴上げされる亜大・山崎

東都大学野球最終週最終日 亜大2―1国学院大

(5月29日 神宮)
 優勝を懸けた亜大―国学院大の3回戦が行われ、亜大が延長10回、2―1で競り勝って2勝1敗とし、勝ち点4で6季連続23度目の優勝を果たした。今秋ドラフト1位候補のエース山崎康晃投手(4年)が完投で5勝目を挙げ、最高殊勲選手(MVP)に初めて輝いた。6連覇は専大(1939年春~41年秋)に次ぐ史上2校目で、戦後では初の快挙。亜大は6月10日開幕の全日本大学選手権に出場する。

 こみあげる感情を抑えきれなかった。整列を終えてベンチ裏に下がった山崎は、人目をはばからず声を上げて泣いた。

 「仲間のおかげ。優勝が決まってホッとしました」

 重圧を乗り越えた安どの涙だった。雌雄を決する大一番。27日の1回戦で延長10回にサヨナラ満塁弾を浴びた右腕は、気温28度の暑さの中で初回から飛ばし、9回まで1失点。しかし、2日前に128球を投げた体は限界に近づいていた。1点を勝ち越した直後の10回、熱中症から右臀(でん)部がけいれんを起こし、軸足で踏ん張れずに球はすっぽ抜けた。安打と四球で2死一、三塁。頂点まであと1アウト。だが、9番・佐々木に1球目を投じたところで、1度ベンチに下がった。それでも「ここで降りてはエースの名が汚れる」と生田勉監督に続投を志願。ストレッチを施して、再びマウンドに戻ると、三ゴロに仕留めて140球を投げ抜いた。

 戦国東都で戦後初の6連覇。良き伝統の継承が結実した。山崎は東浜(現ソフトバンク)、九里(現広島)と歴代エースの背中を追い続けた。2人のように長いリーグ戦を乗りきるスタミナをつけるため、1日に丼で最大13杯のご飯を毎日食べ続けた。昨秋は72キロだった細身の体が、半年後の今季開幕前には自己最大の85キロとなった。野手陣も練習以外に午後9時から11時までの夜間練習に取り組んだ。愚直に野球と向き合う姿勢は後輩に受け継がれ、今季13試合中7試合が逆転勝利。2点差以内での勝利が5試合と接戦に強いチームの礎となった。

 3年生右腕の花城が13日に黄色じん帯骨化症と判明し、戦列を離れたこともチームの結束力を高めた。オフには一緒に食事するなど公私にわたって花城と親しい山崎は「北海道で治療中の花城にあげたい」とウイニングボールを握りしめた。そして生田監督を胴上げする際には、一緒に花城の背番号17のユニホームを掲げた。次の舞台は2年連続で準優勝に終わった全日本選手権。「もう一度、下を見てやっていきたい」と山崎は言った。上ではなく、常に足元を見る。だから、亜大は強い。

 ▼亜大・生田勉監督 優勝できる戦力がなかったので、1部に残るためにチームをつくった。試合が終わったら勝っていた。よく分からないのが実情です。

 ▼広島・九里(昨季まで亜大エース)手術を受けた花城のためにも頑張ったと思うし、優勝できてよかった。7連覇、8連覇してほしい。僕も負けないよう頑張りたい。

 ◆山崎 康晃(やまさき・やすあき)1992年(平4)10月2日、東京都生まれの21歳。尾久八幡中では西日暮里グライティーズに所属。帝京では2年春からベンチ入りし甲子園には2年夏、3年春に出場。亜大では1年春にリーグ戦デビュー。リーグ戦通算30試合に登板し、13勝4敗、防御率1.55。1メートル77、85キロ。右投げ右打ち。

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