楽天6位横山 浪江町の「希望の星」が亡き恩人に活躍誓う

[ 2014年1月18日 11:32 ]

力強い球を投げる横山

 「どうした?悩みでもあるのか?」。会うと必ず笑顔で声を掛けてくれた。優しく包み込んでくれた。今月9日の入寮。横山は昨年7月に新調した黒色のグラブを持ち込んだ。親指部分には「3・11 junya」の文字が刻まれていた。

 「実家に戻ったら必ず食事をして何でも相談した。本当に兄のような存在でした」

 2011年3月11日。あの東日本大震災が発生した。横山の実家は福島第1原発から20キロ圏内の浪江町。当時は早大の沖縄キャンプ中で、3日も家族と連絡が取れなかった。幸い家族は無事だったが実家は半壊。そして大切な人も奪われた。中学時代に所属していた「相双中央シニア」の監督だった渡辺潤也(じゅんや)さん(享年36)。遊撃手から投手へ転向を勧めてくれた恩師だった。消防団員でもあった渡辺さんは地震発生直後に沿岸部で救助活動を行っていた際に津波にのまれたという。中学卒業後も頻繁に相談に乗ってくれた恩師を兄のように慕い、「監督」ではなく「潤也さん」と呼んでいた。

 横山は心に誓う。「天国の潤也さんも含め、今までお世話になった方々に1軍のマウンドで投げている姿を見せたい」。聖光学院では甲子園に2度出場。早大2年時に右手人さし指の血行障害で手術も行ったが、昨年は最速147キロの直球を軸に主に救援投手として活躍した。現在、行われている新人合同自主トレのキャッチボールでも力強い球を投げ込んでおり「指は大丈夫。寒いときは手袋をして血行が悪くならないようにしてます」と目を輝かせる。

 現在も原発事故の影響で両親、祖父母らは同県伊達市で避難生活を送るなど、元通りの生活に戻れていない友人、知人は多い。浪江町の「希望の星」となるべく、横山がプロの第一歩を踏み出した。

 ◆横山 貴明(よこやま・たかあき)1991年(平3)4月10日、福島県浪江町生まれの22歳。小学2年で野球を始めた当初は内野手。中学3年から投手に転向。聖光学院では2年夏に甲子園でベスト8進出。3年夏はPL学園(大阪)に初戦で敗退。早大では主に救援投手として活躍し、リーグ戦通算26試合に登板し、2勝3敗、防御率2.49。昨秋ドラフト6位で早大出身選手としては初めて楽天に入団。1メートル80、79キロ。右投げ右打ち。

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2014年1月18日のニュース