野茂氏殿堂入り!トルネード投法で旋風 最年少45歳4か月

[ 2014年1月18日 05:30 ]

殿堂入りした野茂氏はドジャース時代の写真を持ち、記念撮影に納まる

 野球殿堂博物館の表彰委員会は17日、競技者表彰のプレーヤー表彰に日米通算201勝の野茂英雄氏(45)を選出した。日本選手の大リーグ移籍の先駆けとなった野茂氏は史上最年少となる45歳4カ月で選ばれ、候補者1年目の選出はビクトル・スタルヒン氏(故人)、王貞治氏に次いで3人目。さらに西武、ダイエー(現ソフトバンク)で活躍したソフトバンク・秋山幸二監督(51)、横浜(現DeNA)とマリナーズで日米通算381セーブを挙げた佐々木主浩氏(45)を選出した。

 ひなびた温泉街にみぞれが降る。通常は東京ドームに併設されている野球殿堂博物館で会見を開く。しかし、野茂氏が会見したのは大阪から特急で3時間弱、兵庫県豊岡市の城崎温泉にある旅館。その第一声は驚きの声だった。

 「正直、驚いた。自分では自分の評価は低い。でも、僕の試合を見て楽しんでくれたファンがいて、評価してくれているなら本当にうれしい。これまでの野球人生を支えてくれた一人一人にお礼を言いたい」

 候補者資格取得1年目での殿堂入り。当初は候補者になっている事実も知らなかった。選出は記者投票。「現役時代から記者さんとあまり仲が良くなかったし、米国の殿堂入りと同じで可能性は低いと思っていた」。このため、自身が設立、オーナーを務める社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」主催の少年野球大会のため豊岡市に滞在中。アマ球界の発展に尽力する野茂氏は球界への提言を掲げた。

 「僕たちのとき、五輪はアマ選手の最大の目標だった。その目標がなくなってしまったのはアマにとって大きな痛手。また(五輪競技として)戻るときにはアマ選手のものであってほしい」

 自身は88年ソウル五輪で銀メダル。五輪出場選手としては初の殿堂入りでもある。日本は04年アテネからオールプロで出場し、野球競技は前回12年ロンドンから五輪種目を外れた。20年の東京五輪開催が決まった今、野球の実施競技復活は日本球界最大の課題。五輪で世界を経験し、日本からメジャーへ羽ばたいた野茂氏には「日本球界にとっての五輪の在り方」は見逃せない問題だ。「アマ野球の盛り上がりが、プロ野球につながっていくと僕は思う。いい選手がプロに行けるように、アマに携わっていきたい」。だからこそ五輪で復活し、アマ選手の目標になってほしい。

 無名の公立校・成城工から社会人の新日鉄堺へ進んで花開いたトルネード投法。パイオニアとしてメジャーへ渡り、日米の懸け橋にもなった。現役時代の一番の思い出は近鉄1年目のプロ初勝利とドジャースでのメジャー初登板。「初勝利は(当時監督の)仰木彬さんの誕生日で、1つ勝ってチームの一員になれた。メジャーは自分でやりたいと決め、自分で行動して、夢がかなった日だったので忘れがたい」。その礎となったのがアマ時代の貴重な経験だった。

 史上最年少の殿堂入り。アマ球界に軸足を置く若き野球伝道者の野球への情熱はみじんも衰えていない。

 ◆野茂 英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪府出身の45歳。成城工―新日鉄堺を経て、89年ドラフト1位(8球団競合)で近鉄入団。90年にタイトルを総なめしMVP、新人王、沢村賞を受賞。93年まで4年連続最多勝。94年オフにドジャースに移籍、日本人2人目の大リーガーとなる。95年オールスターに先発し新人王を獲得。96、01年にノーヒットノーラン、05年に日米通算200勝を達成した。右投げ右打ち。

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