大魔神も同期受賞!花の89年ドラフト組・野茂氏と仲良く

[ 2014年1月18日 05:30 ]

和気あいあいと記念撮影を行う(前列左から)秋山監督、佐々木主浩氏、故・相田暢一氏の長男・暢正氏、(後列左から)東尾氏、金田氏、井原敦・野球殿堂博物館理事長、本村政治・稲門倶楽部元会長

野球殿堂プレーヤー表彰

 野茂氏と同じ45歳で殿堂入りを果たした佐々木氏は「まさか、こんなに早く入れるとは…。60歳以上じゃないともらえないのではと思っていた」と恐縮しきりだった。

 これも因縁だった。89年ドラフト。1位指名が8球団競合した野茂氏の「外れ1位」として、大洋(現DeNA)に入団した。「消える」と言われた落差の大きなフォークボールと150キロ超の速球の2球種だけで打者を手玉に取る投球スタイルも酷似。日米両球界で同時期に一時代を築き、今回ともに殿堂入りした。ただ、佐々木氏は2人の関係について「ライバルではない」と話す。

 「そもそもプロに入ったときから大きな差を感じていた。野茂君はソウル五輪日本代表のエース。(母校の)東北福祉大で代表が練習したとき、自分は打撃投手で200球ぐらい投げていた。そんなジャパンのエースと一緒に選ばれたことが非常にうれしい」

 周囲からよく質問される。メジャーでプレーした日本人で一番凄いのは誰か――。佐々木氏は「僕は間違いなく野茂君と答える。先陣を切ってメジャーへ行ったというのもあるが、ノーヒットノーランを2回もやったのだから」。そのまなざしには尊敬の念が込められていた。

 将来は指導者としての道を志す。「機会があれば(メジャーなどの)経験を後輩に教えたい」。一番の思い出は98年横浜を38年ぶりの日本一に導いたことだ。51試合で45セーブ。メジャーに移籍してからも厳しい場面でマウンドに上がり続けたが、「プロ野球でもメジャーでも、そのときはつらいけど、乗り越えると楽しさが倍増する」と振り返った。そんな思いをもう一度、ユニホームを着て味わいたい。希代の名ストッパーには、夢の続きがある。

 ◆佐々木 主浩(ささき・かづひろ)1968年(昭43)2月22日、宮城県出身の45歳。東北、東北福祉大を経て、89年ドラフト1位で大洋入団。フォークを武器に最優秀救援投手のタイトルを5度獲得し、98年は45セーブを挙げて横浜の日本一に貢献した。99年オフにFA宣言してマリナーズ移籍。抑えとして活躍し、00年新人王を獲得。01、02年オールスターに出場した。04年に横浜に復帰、05年限りで引退。右投げ右打ち。

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