4番不発…阿部 侍引退「次は陰ながら応援していきたい」

[ 2013年3月19日 06:00 ]

<日本・プエルトリコ>6回2死三塁、三振に倒れる阿部

WBC準決勝 日本1―3プエルトリコ

(3月17日 サンフランシスコ)
 侍らしく潔く敗北を受け入れた。主将、4番、正捕手という一人3役。阿部(巨人)はその重責を背負って戦った。決勝が行われる日本時間20日は34歳の誕生日。米国で迎えることはかなわなかったが、胸を張って言った。

 「いや、もう悔しかったです。けれども、全員が精いっぱいやった結果なので悔いはない」。4打数無安打。4回2死二塁を皮切りに、3度の好機をつぶした。2点を追う8回1死一、二塁。打席が回り、「ニッポン・コール」が鳴りやまない最高潮の場面で、まさかの走塁ミスが起こった。水を差される形でチャンスの芽がしぼみ、阿部も二ゴロで万事休す。「みんなが必死にやった結果なので」と周りを責めることはしなかった。

 シドニー、北京五輪ではメダルを逃した。WBCでは前回大会で優勝メンバーに名を連ねたが、右肩脱臼明けでマスクをかぶることはなかった。中心選手としては初めての国際舞台。「このチームで世界一に」という思いは強かった。「一つ勝つごとにいい空気になった。一体となってきたところで終わっちゃうのは残念」。山本監督からチームの命運を託され、雰囲気づくりから気を使った。大会開幕直前には右膝を痛めたが、注射治療など懸命の処置で間に合わせた。米国入り後の14日には井端に食事に誘われるとブルペン捕手やトレーナーらにも声を掛けた。異国の地で寿司をつまんで杯を酌み交わし、裏方の労をねぎらうことも忘れない。山本監督は「慎之助がチームをまとめ、ベテランが彼をサポートし、若い選手が付いていった」と話した。

 前回大会後に、一度は代表引退を心に決めていた。3連覇は夢と消えた敗戦後。阿部は代表を引退する意向を示した。「若い子がこれから活躍すれば日本球界のレベルアップになる。次にそういう機会があれば、僕は陰ながら応援していきたい」。帰国後は巨人でも一人3役を託される戦いが続く。この悔しさと得た経験。それを胸にしまい、「野球人・阿部」はさらに大きくなる。

続きを表示

2013年3月19日のニュース