終戦記念日によみがえる悲しい過去と不透明な未来 スポーツともリンクする“負の歴史”

[ 2023年8月15日 07:45 ]

ジェリー・ウエストをモデルにしたNBAのロゴマーク
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】1945年3月22日。太平洋戦争の激戦の地、硫黄島では1932年のロサンゼルス五輪の馬術競技(障害飛越)で金メダルを獲得していた“バロン西”こと西竹一大佐が42歳で戦死。その16日前、米軍では海兵隊に所属していた27歳のハリー・オニール中尉が死亡しているが、彼は1939年、フィラデルフィア・アスレチックスの捕手としてたった1試合だけ出場した“元大リーガー”だった。

 守っただけで打席数はなし。オニール中尉は年齢を考えれば、戦争が終われば再びメジャーに復帰しようとしたとしたのではないかと思われるが、彼の“未来図”は西大佐同様、硫黄島にすべてを飲み込まれた。1打席も記録していないメジャー経験者は映画「フィールド・オブ・ドリームス」でもサイドストーリーとして描かれているが、オニール中尉にも「なんとしても打席に立ちたい」という切実な思いがあったのではないだろうか…。

 第二次大戦中の米国の人気スポーツはボクシング、競馬、大リーグ、そしてアメフト。その後“火の球投手”として歴史に名を刻むことになる大リーグ・インディアンズ(現ガーディアンズ)のボブ・フェラーは真珠湾攻撃を受けた翌日に海軍に志願して入隊した。戦艦アラバマの対空砲部隊のチーフとして従軍。同じ海の上にはやがて撃沈される輸送船に乗っていた巨人の沢村栄治がいた。

 NBAはまだ存在せず、バスケットボールは米国民が注目する人気競技ではなかった。しかし戦争とは他の競技とは別な観点で密接な関係を持ち合わせている。

 1937年、中西部一帯で13チームで創設されたバスケのプロ・リーグがNBL。人気競技ではないので運営は難しいはずだったが、このリーグを資金面で支えたのはファイアストンとグッドイヤーのタイヤメーカーと世界的な総合電機メーカーのゼネラル・エレクトリック。この3社は30年代後半から40年代にかけて軍需産業で活況を呈し、それがスポーツへの“投資”に回ることになった。
 
 八村塁(25)が所属しているレイカーズはそのNBLで誕生し、1948年に対抗組織だったBAAに組み込まれた。BAAが49年にNBLを吸収合併してNBAと改称するのだが、もし戦争がなく軍事産業が不用で平和な時代だったならばNBLは有能な選手を集めることができず、やがてNBAの人気チームとなるレイカーズは誕生していなかったかもしれないというもうひとつの歴史がこの“裏側”に潜んでいる。

 1980年代後半、米国内を渡り歩いてカレッジ・フットボールを取材していたとき父親をベトナム戦争で亡くしたという2人の選手と出会った。大学は違っているので2人に接点はない。しかし「炎に包まれたヘリコプターで仲間を先に脱出させたときに機体が爆発。それで命を落とした」という“父の最期”は同じだった。

 1人目にはさらなる詳細を求めたが、2人目にはそれ以上、質問はしなかった。彼らの目は「父親は仲間の命を救ったヒーローであってほしい。そう信じているからこそ悲しみを乗り越えることができたんだ」と訴えているようだった。真実はわからない。しかしそこに踏み込むのは彼らの“誇り”を踏みにじるものではないかと思い、私にはできなかった。それから20年後、インターネットで検索すると、ベトナム戦争で亡くなった米軍ヘリコプターのパイロットと搭乗員は併せて約5000人。なぜ私が短期間で同じ境遇の選手に立て続けに出会ったのかは、長い年月が経過してようやく理解できた。

 ロシアのウクライナへの軍事侵攻はまだ終わりが見えない。NBAではホーネッツのスビアストラフ・ミハイリューク(26)とキングスのアレックス・レン(30)の2選手がウクライナ出身だが、22年2月に侵攻が始まって以来、彼らの不安と心配はウクライナ国民同様に尽きないことだろう。

 八村や渡辺両選手の活躍もあってNBAのウエアや帽子といったアイテムを購入された方も多いかもしれない。そのグッズには必ずNBAの公式ロゴが記されているはずだ。ドリブルしている姿がシルエットとなっているが、それはレイカーズの元スーパースター、ジェリー・ウエスト氏(85)がモデルになったもの。しかしその“ヒーロー”は1951年6月、10歳年上の兄デビッドさんを朝鮮戦争で失っている。

 著書「WEST BY WEST」には「仲間を戦火の中で助けた」という兄の最期の状況が、ウエスト家に伝えられたと書かれてある。ただし当時13歳だったウエスト少年は家族からその知らせを聞いたのではなく、小さな町の“ご近所さん”から「お兄さんが亡くなったそうで…」と声をかけられたという。それがどれほど心を傷つけたのかは本人だけにしかわからないと思うが、あのシルエットの向こう側には、戦争で心を痛めた少年の姿があることを忘れないでほしい。

 宇宙物理学者の故ホーキング博士は著書「ビッグ・クエスチョン―人類の難問に答えよう」の中にこう記している。

 「次の千年間のどこかの時点で核戦争または環境の大変動により地球が(人の)住めない場所になるのはほぼ避けられないと見ている。地球を離れようとすれば、地球規模で力を合わせなければならない」

 どうやれば新天地を見つけられるかを考えているであろう?未来の人にとって、宇宙からは見えない国境という人間が引いた勝手な線ををめぐって武器を使って争う姿はとうてい理解できないかもしれない。

 きょうは終戦記念日。本当はもっと早く迎えるべき日だったはずで、そうであれば多くの命が救われていたことだろう。散っていった人たちの無念さを無駄にしてはいけない。私にはスポーツのいうアングルでしか切り取ることしかできないが、その小さな世界にも悲しみと怒りが渦巻いている。“終戦”という言葉が持つ意味。きょうはどんな形であれ、それを自分に問うべき大事な1日だと思う。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、佐賀県藤津郡嬉野町(現・嬉野市)で生まれ、北九州市小倉区(現・小倉北区)で育つ。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。 

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