欠陥だらけの選考方法の“被害者”だった松田詩野 2年前の忘れ物を取り戻す五輪切符獲得

[ 2023年6月6日 07:00 ]

松田詩野
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 2年前、失意のどん底を味わった地で、今度こそガッチリと、五輪代表権をつかみ取った。

 太平洋に面した中米のエルサルバドルで行われているサーフィンのワールドゲームズ(WG)で、女子日本代表の松田詩野(20)のアジア1位が確定し、事実上、24年パリ五輪代表に内定した。全競技を通じて、日本人としてパリ内定第1号でもある。羽田空港を出発前、「リベンジしたい」と言い切った20歳は、山あり谷ありの4年間を過ごしてきた。

 その名が大きく取り上げられたのは、予定通りならば東京五輪の前年だった19年の9月9日のことだ。宮崎で行われていたWGで松田のアジア1位が確定し、条件付きで五輪代表に内定した。この時の「条件」は、翌20年(新型コロナウイルスの影響で、その後21年に変更)のWGで、上位7人までに同じ日本勢2人が入らないことだった。その時点では、針の穴を通すがごとき、極めて可能性が低いことに思われた。

 そうして迎えた21年5、6月のWG。松田自身が上位7位に入れば文句なしに五輪切符が確定していたが、敗者復活4回戦で4位となり敗退。一方、同時に出場していた都筑有夢路、前田マヒナは最終的に敗者復活戦に回ったものの、松田よりも上位ラウンドまで進出した。最終順位は前田が8位、都筑が9位。別の優先条件で五輪出場権が確定している選手は除かれて権利が繰り下がるため、2人が逆転で五輪切符をつかみ、松田は逃すという残酷な結果となった。

 松田にとって不運だったのが、プロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)で活躍するカリッサ・ムーア(米国)ら、すでに五輪出場権を持っていた多くの実力者が、1回戦を戦った後に棄権したことだった。彼女たちは21年WGの出場を条件に五輪切符が確定するため、戦いの場から去った。そして勢力図は、大きく変わった。松田にとって、不利に働いたことは言うまでもない。

 もちろんムーアらの選択にも一理ある。エルサルバドルは気温も水温も高く、五輪直前にコンディションを崩す可能性があった。CTから連戦が続いていたこともある。何よりまだまだコロナの感染リスクが高かった時期。五輪本番を万全な状態で迎えるために、ルールに則った上で最善策を選ぶ権利は、どのアスリートにもある。実際にムーアは五輪サーフィンの初代女王として、その名を刻むことになった。

 東京五輪の追加種目として採用されたサーフィン。プロツアーの仕組みが確立され、そこに参戦する多くの実力者を五輪に呼び込むために、国際サーフィン連盟が苦心してひねり出した選考方法だったが、あまりに複雑で、欠陥だらけだった。松田、そして同じように条件付き内定を得ていた村上舜は、言わばこの失敗作の“被害者”だった。

 あれから2年。同じエルサルバドルで行われたWGで、まるで忘れ物を取り戻すかのように、五輪切符を手にした松田。失意を乗り越え、昨年は右肩手術を受ける苦境からも復活した20歳は、穏やかで愛らしい笑顔の裏にとてつもなく強いハートを携え、世界最難関と言われるチョープーの波に挑む。(記者コラム・阿部 令)

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