逸ノ城 常識破りの新入幕(1)師匠の言葉でひらめいた変化

[ 2014年12月30日 10:35 ]

初の大関戦で稀勢の里を下した逸ノ城だったが、取組の内容は「禁じ手」ともいえるものだった

 大相撲の逸ノ城(21=湊部屋)は入門から1年にも満たない9月の秋場所で新入幕を果たすと、いきなり13勝2敗の好成績を挙げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞した。100年ぶりの新入幕優勝はならなかったが、横綱・白鵬と優勝争いを演じ、角界に旋風を起こした。モンゴルの遊牧民出身力士はなぜ「モンゴルの怪物」と呼ばれるのか。大関、横綱を3連破した11日目から13日目にスポットライトを当てる。

 8月11日、宮城県加美町の中新田体育館。巡業に初参加した逸ノ城は支度部屋で鳥取城北高の2年先輩である幕内・照ノ富士とモンゴル語で談笑していた。記者が加わると照ノ富士が軽口を叩いた。「こいつ幕内で40回優勝するって言ってますよ」。隣にいたザンバラ髪の若者は否定も肯定もせずただニコリと笑った。

 新入幕が決定的とはいえ入門8カ月の十両力士がそんな野心を口にするはずがない。記者は全く信じていなかった。しかし、1カ月半後、あの言葉は事実ではないかと思い直すことになった。

 秋場所、前頭10枚目の逸ノ城は10日目を終えて9勝1敗と快進撃を続けた。通常、平幕下位は上位陣と対戦しない。しかし全勝の横綱・白鵬を横綱・鶴竜と新入幕力士が1敗で追う予想外の展開に相撲協会審判部は異例の決断を下す。9月24日の11日目の相手は大関・稀勢の里に決まった。

 部屋に戻った逸ノ城は師匠の湊親方(元幕内・湊富士)にあいさつに行った。初の大関戦が決まった緊張感で詳細は覚えていないが、師匠が発したその言葉だけは耳に残った。「何をやるにしても思いっきりやれ」。腹が据わった気がした。

 1メートル92、199キロの巨漢は強心臓の持ち主だ。モンゴルでの遊牧生活では夜にオオカミが襲いに来る恐怖を何度も体験した。豪雨が降ろうと、雷が鳴ろうと放し飼いしている家畜を守るためにゲル(遊牧民の家屋)の外に飛び出した。緊張くらいで眠れなくなることはない。その夜もいつも通り午前0時に布団に入ると「すぐに眠った」。

 迎えた稀勢の里戦。立ち合いで大関は2度も待ったした。前日左肩を負傷した影響もあったのだろうが、明らかに逸ノ城を過剰に意識していた。

 一方の逸ノ城は冷静だった。相手もよく見えていた。2度目の立ち合い不成立から30秒の間が空いた。その瞬間、師匠の「思いっきりやれ」という言葉が頭をよぎった。

 「(2度目の立ち合いまでは)普通に立とうと思っていた。でも当たりが強そうだし、このままだと負けるのではと思った」。中途半端な立ち合いでは押される。3度目の立ち合い前、作戦を変えた。「左に変わって、決まらなくても左上手を取って攻めよう」。左に素早く動いた。右腕で頭を押さえると、大関はバタリと両手をついた。館内は大歓声に包まれた。

 ただ大関相手に変化することは「禁じ手」ともいえる。北の湖理事長(元横綱)は「物おじしない」とコメントした。逸ノ城の強さを認める一方で、非難するような響きも含まれていた。

続きを表示

2014年12月30日のニュース