98年長野で金 里谷多英引退「とても幸せな」25年間

[ 2013年1月19日 06:00 ]

1998年長野冬季五輪フリースタイルスキー女子モーグル決勝で豪快なエアを披露する里谷多英

 98年長野五輪で日本女子初の冬季五輪金メダリストとなったフリースタイルスキー女子モーグルの里谷多英(36)が今季限りで現役を引退することが18日、所属先のフジテレビから発表された。来年に迫ったソチ五輪出場が困難と自らが判断したため。来月23、24日に福島・猪苗代で行われるW杯の際に引退セレモニーを行う。里谷は02年ソルトレークシティー五輪でも銅メダルを獲得。今後はフジテレビの社員として業務に当たるという。

 日本のスポーツ史を彩った希代の女性アスリートが、現役引退を決断した。里谷はこの日、所属先のフジテレビを通じたファクスと自身のSNSなどで今季限りの引退を発表。「12歳で初めて大会に出場してから25年間、諦めることなく最後まで挑戦し続けることができ、とても幸せな競技人生でした」と振り返った。

 10年バンクーバーは日本女子最多の冬季五輪5大会連続出場を果たしたものの、19位。その後は持病の腰痛などで海外遠征ができないシーズンがありながら、6大会目となる来年のソチ五輪を目指し現役を続けてきた。だが昨年12月18~21日の北米カップで惨敗。同大会は前シーズンにW杯昇格を決めた大会で、関係者によると、出場前から結果次第では引退する覚悟を決めていたという。

 里谷は小学6年生で全日本選手権を初制覇。17歳で94年リレハンメル五輪に出場し11位に入った。自国開催の長野五輪では会心の滑りで高得点を叩き出し、日本女子初の冬季五輪金メダリストとなるとともに選手団最初の優勝で日本を勢いづけた。ソルトレークシティー五輪では銅メダルを獲得。ちなみにこの後、スキー界は06年トリノ、10年バンクーバーとメダルなしに終わっている。

 W杯でも通算2勝を挙げた一方、私生活ではトラブルもあった。03年11月に一般男性と結婚したが、06年には離婚が成立。05年2月には都内の飲食店で酒に酔って従業員とトラブルとなり、一時警察に拘束される騒ぎとなった。不起訴処分となったものの、世界選手権の出場と強化選手指定を辞退し、フジテレビからも謹慎処分を受けた。

 それでも5歳からモーグルの手ほどきを受けた父・昌昭さんを97年に亡くしながら(享年54)、父との思い出を胸に競技を続けてきた31年の道のりは色あせるものではない。一番の思い出は長野の金ではなく、父がまだ生きていたリレハンメルでの五輪初出場。「モーグルというマイナー種目が注目されて、大観衆の中で滑れた感激は今でも忘れない。メダルが欲しいと思ったのも、あの大会から」と振り返った“冬の女王”は、シーズン真っ盛りに雪上を去る。

 ◆里谷 多英(さとや・たえ)1976年(昭51)6月12日生まれの36歳。北海道札幌市出身。東海大四高―北海道東海大―フジテレビ。5歳でスキーを始め、札幌新陽小6年時にモーグルに転向。17歳で94年リレハンメル五輪に初出場。10年バンクーバー五輪まで5大会連続出場。98年長野五輪で金メダル、02年ソルトレークシティー五輪で銅メダル。W杯通算2勝。1メートル66。血液型O。

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