「プチ朝青龍記念館」で母校・明徳義塾再興だ!

[ 2009年10月29日 06:00 ]

稽古場で自分の名札を見てうれし顔の朝青龍だが、名前はなぜかダグワドジルならぬダガワドルジ

 大相撲の横綱・朝青龍(29=高砂部屋)が、“第2の故郷”の危機に救いの手を差し伸べた。28日、7年ぶりに母校の高知・明徳義塾高を訪れ、寄贈した優勝額(02年九州場所)の除幕式に出席。恩師らに感謝の意を伝えた横綱は、相撲部の道場に優勝額や綱を寄贈し、さらには破損したてっぽう柱の修復に着手することを明言した。道場を「プチ朝青龍記念館」とし、部員5人と弱体化している名門再興を目指す。

 母校を訪れるのは大関昇進直後の02年10月以来7年ぶり。盛大な歓迎に緊張気味の朝青龍だったが、恩師や旧友との再会のほかに楽しみにしていることがあった。セレモニーを終えると足早に相撲道場へ。「横綱・朝青龍」の原点となった稽古場は12年前と全く変わっておらず「懐かしいね。ここで厳しい練習をしたからこそ、今がある。ウルウルしたよ」と感慨深げだ。そしてせん望のまなざしで視線を送る丸刈り頭の後輩にかつての自分をダブらせ「今度は胸を出さないといけないな」と名門復興への決意を口にした。
 この日、体育館に展示された優勝額の除幕式には、横綱のほかに朝赤龍、琴奨菊、栃煌山の明徳相撲部の4関取が勢ぞろいした。かっては2度のインターハイ優勝など輝かしい実績を残してきた相撲部も、現在の部員は1年生5人だけに衰退。数年前には部員1人となる危機にも直面していた。そんな名門の窮状を黙って見過ごすわけにはいかなかった。これまでにもスカウト活動のほかに、愛情あふれる差し入れでバックアップ。先日も牛肉20キロを届けたばかりだが「今度は米だな。おいしい物を食べさせてやりたい」と全面支援を約束した。それだけではない。既に吉田圭一校長(62)には化粧まわしを寄贈することを伝え、さらには綱やミニチュアの「優勝額」も相撲部に贈るという。この日も、稽古場の折れ曲がった“てっぽう柱”の修復にも着手することを明言。偉大な先輩の「プチ朝青龍記念館」化計画に、佐藤監督も「ありがたい。後輩たちも活気が出てくるでしょう」と感謝の言葉を述べた。
 この日、朝青龍は約900人の在校生らの前で「恩返しができてよかった」と神妙に話した。第2の故郷が全盛期の勢いを取り戻すのは時間の問題かもしれない。

 <担任も感激>神妙な表情で在校生の前であいさつを行っていた朝青龍が突然「先生、日本語どうでしたか?」と切り出し、最前列に座っていた竹田美樹先生(37)に向けて屈託のない笑みを送った。横綱の担任だった竹田先生は突然の“指名”に驚きながらも「ガキ大将でしたけど、ユーモアがあって彼の周囲は笑いが絶えなかった。語学の上達も早かったです」と当時を振り返った。そして「朝赤龍と2人そろって帰ってきてくれて、こみ上げるものがありました」と話した。

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2009年10月29日のニュース